第11回  幾年ふるさと来て見れば   2008/02/12  閲覧(372)+426

霧深き熊本・人吉の旅

        
  熊本は父の出身地である。私の代までは、熊本とのつながりを切りたくない。仰ぎ見る阿蘇雄大な眺望は、心に刻まれる原風景のひとつ。熊本は阿蘇をどこから見るかで、旅の道も印象も異なる。今回は空路、熊本入りした。松山を離れた夏目漱石は旧制五高に赴任、五年間滞在して引越しを繰り返した。阿蘇にも登った。小説「二百十日」で阿蘇にさまよい、「空にあるものは、烟りと、雨と、風と雲である」と書いた風景が眼下に広がる。機内窓越しに五高生たちの草千里のストーム、寮歌「武夫原頭に草萌えて」が聞えてくるかのような錯覚を覚え、その余韻はバスに乗り換えてからも続く。

  JR肥薩線八代駅0番ホーム。九州新幹線八代‐鹿児島開通で、さらにスローライフな旅の輝きを増した肥薩線である。近代化から取り残されたことが幸いして、鉄道博物館的な存在になった。来年にはSLが走る予定で、さながら大正、昭和初期の鉄道風景をそっくり現代に受け継ぐことになるから、鉄道マニアには垂涎の路線だろう。松山では「坊ちゃん気分」、ここでは失踪した恋人を探す推理小説の主人公のつもりで0番線の車両に乗った。

  手にするのは名物・がらっぱ(河童)弁当。車内の夫婦連れの「球磨川を見ながら食べる弁当はいつ来ても、うまかもんね」という会話に耳をすませ、人吉への道中を楽しむ。熊本・宮崎両県にまたがる市房山、江代山付近を水源にする球磨川はU字型を描くごとく人吉盆地から八代海へ注ぐ。人吉はU字の底にあたる。

  浄瑠璃「伊賀道中双六」で荒木又衛門と渡辺数馬の仇役、河合又五郎は「落ち往くさきは九州・相良(人吉)」の名台詞をはく。逃げるにはあそこしかない秘境の代名詞として江戸時代から知られていた。相良とは人吉代々の城主、相良氏をさし、鎌倉時代から維新まで700年も人吉を統治してきた。

  山と川だけの車窓の視界が劇的に転換すると、人吉に着く。難儀なことこのうえもない道のかなたに城下町が存在する。初めての観光客には驚きだ。まして昔の旅人は目を疑った。それが名台詞を生んだ。城の名前も、三日月城。時代劇映画なら黒沢明、小説ならさしずめ横溝正史松本清張の舞台にふさわしい。

  からくり時計が迎える人吉駅から味噌、醤油、焼酎蔵の町並みを通り、水ノ手橋を渡ると川沿いに高石垣がそびえる。反りのある石垣と大手門跡そばに復元した多門櫓、長塀、隅櫓がしっとりと調和している。石垣歳上部には横石を突き出す武者返しの手法を取り入れている。

  相良氏は遠江国(静岡)の御家人から人吉の地頭になった長頼を初代にして35代におよぶ2万2千石の城主の家柄である。戦国大名が維新まで続いた例は稀だ。山に囲まれた立地は、外からの侵入を阻む自然の要塞の役割を果たし、秀吉、家康の時代を小藩ゆえの策略で巧みにくぐりぬけたが、西南戦争では西郷軍が本営にしたため、市街は戦火に見舞われた。武家屋敷は旧新宮家しか現存せず、他は灰塵に帰した。人吉のまちあるきでの発見は食堂の味の良さ。不便な土地ゆえの食の工夫がうまみを生んだ。城下に連なる職人の店が技を競ったこともある。

  全国稀な相良氏統治は、のどかな日々の連続であったわけでない。むしろ逆である。川を渡った屋敷町で繰り広げられたお家騒動の頻発度は全国各藩の中で群れをぬいている。

  藩を二分する藩主毒殺計画は一度や二度にとどまらない。宝歴7、8、9年の騒動はすさまじい。まず7代藩主毒殺計画が発覚する。藩医が計画の遺書を残して自刃、該当者の大量処分後に当の7代が江戸への旅途中で発病、江戸に着いて死去。跡を継いだ8代藩主も就任2カ月の初のお国入りして下屋敷で急死する。表向きは病気とされるが、不自然な死は鉄砲による射殺というのが通説になっている。藩論は常に政策、世継ぎで対立していた。静かな屋敷町は、謀議と白刃きらめく政争の場になった。一族支配は派閥を生み、江戸の藩主と留守を預かる城代が血で血を洗う争乱の歴史を高石垣は見つめてきた。幕府は遠隔地であることや相良氏一族に代る統治を断行できないまま、治めてきた。11年で4人の藩主が交代し、いずれも他家からの養子の事実が対立の根深さを物語る。

  古城の面影濃い城址を歩き、球磨川を眺めながら、争乱の歴史をたぐりよせる。しかし、古城は口を閉ざし、今は遠い昔話になった。
  城址に人吉の生んだ詩人、犬童球渓の「故郷の廃家」の詩文が刻まれている。

幾年ふるさと来てみれば、咲く花鳴く鳥そよぐ風

角辺の小川のささやきも、なれにし昔に変らねど

  しみじみとした気分に浸る。球磨川をはさんで人吉の町が広がっている。肥薩線が川を渡る。意識の中に人吉はるか東北の私のふるさとが近づいてくる。

  球磨川の橋まで戻ってきた。秋から冬の朝、球磨川からのぼる霧が立ち込め、人吉は霧の町になる。八代にはじまる推理小説のラストはこの橋だ。失踪した恋人を探してきた主人公の再会シーン。走りよる2人の姿を霧が包んで完である。夜、外湯めぐりのあとの球磨焼酎が待っている。