第141回 鯛のうまいのは秋だ、今だ

〜もみじ鯛を求めて明石浦を歩く〜

  鯛の旬は春というのが相場である。ところが漁師や業者に聞くと、秋、もみじのころの鯛が一番うまいと、笑われた。大津から新快速で1時間半の明石。神戸から 二駅ながら、遠くに感じるが、電車の旅には格好の距離である。駅手前の車窓から北に明石城が見える。駅に近い。西に坤(ひつじさる)櫓、東に巽櫓がそび え、天守閣の赴きがある。

  天守台はあり、五層の天守を計画したものの、櫓で代用した。山陽道が通り、淡路・四国の瀬戸内ルートや但馬・丹波への道がここでわかれる交通の要衝であった。

  平安時代歌人在原業平を主人公にした伊勢物語にも『蔦(つた)、楓(かえで)茂り、もの心細い』とあり、さらには源氏物語では女の問題で京を逃れた光源氏が住吉から明石へ船で移り、明石入道の娘と出会う舞台になった。

  徳川秀忠は四国の 外様大名を抑える城として信濃松本藩主小笠原忠真に築城を命じた。坤櫓は駿府城の守りの要になっている。秀忠肝いりの城には小笠原忠真が初代藩主になる も、わずか15年で小倉藩に国替え、あとは松平、大久保、本多、松平と城主はめまぐるしく代った。幕府にとって譜代藩の西の拠点を親藩にする意図が透けて みえる。

  4代目の松平忠国は読書を好み、源氏物語を愛読した。忠国は城下に源氏物語ゆかりの史跡をつくり、まちづくりに功績を残した。本丸跡は明石公園になり、野球場はかつて巨人のキャンプ地でにぎわった。重文の櫓は年1回のみ公開され、築城時の木の光沢に触れることができる。

  駅を出て、南へ行くと、港と官庁街がある。その一角の東西に延びているのが魚の棚市場。土地の人は「うおんだな」とよんでいる。東西450㍍の市場は明石城 築城とともに城下の台所を担ってきた。港が目と鼻の商店街は明石海峡の新鮮な魚介類をそろえ、明石だけでなく京阪神に出荷している。明石ブランドで人気が 高い。

  タイやアナゴ、タコ、イカなどが並ぶ魚屋のおっちゃんに声をかけた。

  「京からきたんか。京は注文がうるさくてな。夏はハモ。淡路のやつや。かたちをそろえんと、気にいらん。落とし(湯を通してうめづで食べる)は大きくても、小さいのもあかん。頃合いやな。いまはタイが旬や」と、見事なタイを指さした。

  「タイは春の桜鯛といいますが」

  「それは知らんのひとの話。春は色、形がいいが、味は秋より劣る」

  春のメスは産卵期で身がやせている。オスはメスのような違いはないが、いずれにせよ、夏から秋にかけてのタイは肉がつき、味がいい。並んだタイはブルーの斑 点、目のまわりがブルーのアイシャドウと、おしゃれだ。これはカニ、エビを食べるためで、それに小魚をたっぷり食べて油がのる。

       

  「それに海峡の流れで身がしまる」

  時速15キロ㍍の海流が明石海峡なのだ。中には鳴門骨という渦潮で背びれをいため、コブのできたタイがいるが、渦潮育ちとして珍重する。

  「明石のタイはエビのほかにタコも食べる。明石産のタコの1割には足の数がそろわないタコが水揚げされる。むろん市場にはでんがな」

  おっちゃんの話はつきない。8月から11月のタイのうち、1キロ以上のものは特選タイになり、贈答品になるほか、料亭などが買い込み、祝いの席をもりあげている。

  最近は活き魚輸送の多様化で生け簀のタイを料理する店がにぎわっているが、アジ、サバと違って白身魚は鮮度がよければ味がいいわけではない。とれとれのタイはこりこりするものの、舌にからみつく味わいはない。

  明石市がタイの食 べごろを調べたデータがある。市民47人を対象にしめてから食べるまでの時間を分けて、味を聞いたところ、10時間後の天然タイが一番うまいという結果に なった。次いで24時間が続き、締めて2時間から直後のタイの味がいいという回答は最下位だった。これはうまみの成分のグルタミン酸調査でも10時間のタ イのグルタミン酸が高い数値を記録した。タイに限ってはとれとれはうまいなど「通」ぶっていわないほうがよい。ただ、養殖ものは、5時間から2時間がよ く、とれとれ料理でもうまみに差はなく、24時間経過ものの評価は低かった。

  養殖ものなら、しめてから早めに食べ、天然ものは10時間前後に食べるのがおいしく味わうコツということになる。つまり、養殖鯛なら生け簀料理で食べるのは正解である。

  商店街を南に歩き、明石市民が前の浜と呼ぶ浜にでた。6漁協がここで水揚げするが、明石の競りは11時半の昼競りである。つまり魚の棚の午後は前夜、水揚げしたばかりの魚が並んでいる。トロ箱から逃げたタコが通りを歩いているはずだ。

  タイ漁は協定で朝4時から6時半の間に出航して13時間から14時間操業したあと戻るのが決まりだ。ゴチ網、底引き、一本釣りの3種類のうち、釣りは少数派 になる。水深140㍍の海底から引き揚げられたタイは浮袋が膨れ、仰向けに浮いている。このため、浮袋を竹の箸でついて穴をあけ、生け簀に入れ、競りにか ける。近頃は他産地ものが明石産で出回り、漁協では産地表示のタグをつけた。

  タイは出荷前に生け簀から揚げ、手鉤でシメる。目の後ろ上を刺して脳死状態にして血抜き、氷詰めにして送り出す。この十時間後が食べごろになるわけだ。

    

  魚の棚の食堂でランチ定食を注文した。天然タイの刺身はさすがについていなかったが、タコ飯、タコ刺身、吸い物はうまかった。明石のタコはカニ、エビが好 物。海流とエサが明石名物を育んだ。明石のタコには特徴がある。体の茶色が濃く、つの状の皮膚が突起があり、押すとへこんでしまう。明石の浜では干しタコ をみかけるが、古代から保存食になり、タコめしには生よりも干しタコをつかうのコツだそうだ。

  イカにしてもそうだが、天日干しは味を濃くし、うまみを増し、深みを生む。食堂のタコめしもおそらく干しタコだろう。

  魚博士で有名な末広恭雄の『魚の四季』によれば、タコは海のギャングウツボすら襲うという。好物イセエビの固い殻をかみ砕き、するっと中身を食べてしま う。余談になるが、知多半島の宿で伊良子水道のタコがうまいのは、イセエビを食べるからという自慢話を聞いたことがある。実に贅沢なタコだ。

  そこで明石焼きをいただく。タコ焼きやお好み焼きは、好きになれないが、明石焼きのふんわりした味わいと、すまし汁にミツバを浮かべた香りは口にあう。粉も んの雑駁な味とちがってピュアな口あたりがいい。大阪出身のうちの連れ合いなんか、お好み焼きでビールが一番というが、面白くない吉本の笑いのTVをみて いるようで理解に苦しむ。

  源氏物語の舞台を歩く。4キロほどの道。光源氏は入道の別荘のあった浜の住まいから山手の入道の娘、明石の君のもとへ通う。源氏が都へ呼び戻されたため、こ の恋はあっけなく終わった。小説の世界であるが、往時の明石の浦をたぐりながら、紫式部光源氏のモデルのひとりとして描いたという在原業平を海に重ね る。評判の男前、歌人、無類の女好きのため、都を離れて須磨に隠棲するが、紫式部は業平の弟行平にも興味を持ち、実名で登場させている。行平は文武両道の 官僚として朝廷で重きを置かれた。明石の浦は式部にとって在原兄弟につながる原風景だった。

  平城天皇桓武後継)の血をひく兄と弟。紫式部がモデルに投影したであろう男たちゆかりの明石の海は大河のごとく、とうとうと流れている。

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