第9回   「京野菜 すぐき」    2008/01/15  閲覧(411+416)

ブランドでないブランドの味


  北山に薄く墨絵の筆をさっと引いたような雲がかかると、しぐれの季節である。加茂川にユリカモメが舞いはじめ、北山橋のたもとで大槻史郎さん(故人)がパンクズをやりだすのも、決まってこの頃だった。ユリカモメのおっちゃんと呼ばれた大槻さんに初めて出会ったのは、スグキの漬け込みを取材に行く途中、橋の上から眺めて声をかけた三〇年前の事になるから70年代後半の十一月。大槻さんにかかると、スグキのつけ込みとユリカモメは、切り離せない季節の移り変わりを告げる。

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  この出会いをきっかけに、大槻さんと亡くなるまで家族ぐるみの交遊が続き、大槻さんのたんねんなユリカモメ日記を手伝った。

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  ユリカモメが京の空に群舞すると、上賀茂にいまでは点在するすぐき畑からタルへ運ばれる。土地の人が加茂台と呼ぶ深泥池から加茂川までの畑は九月中旬に種まき、2カ月余りで収穫期を迎える。つけ込みの順はすぐきの肥すじをとり、葉と茎の付け根部分の間をはね、皮むきして大ダルで一昼夜塩漬けにする。これを水洗いして本漬けにする。

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  味が良くなるのは霜降りの冷え込み厳しくなるころからというのが通説である。

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  上賀茂の農家の話には前置きがつく。

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  「よそさんのことはしらんが 」

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  塩加減、押し加減、室の温度加減では一致する。それからは先は各家の秘伝と笑うところまで同じだ。まるで申し合わせたような「相変わりませず」の答えが返ってくる。しかし、ここから先は核心を避けながら、違いが顔をのぞかせる。

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  「味が落ちた。味が変わったということはありませんか」

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  こう、尋ねてみた。畑で会った老人は、しばらく、考えて答える。

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  「個人の好みがあるからな。ただ、昔に比べて酸味が少なくて、甘味のある方がどうも喜ばれるから、それに合わせているところもある。ただ、酸味、歯切れ、香りがすぐきの条件であることには変わりはない」

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  自慢になる他家との違いをことさら強調しないが、工夫となれば、口は軽くなる。

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  秘伝であるすぐきの明治から昭和までのつけ込み方にはいくつかの節目がある。古老たちのよると、すぐきの醗酵は明治末までは自然醗酵だった。すぐきの醗酵はチーズと比較される乳酸菌の働きによるが、本漬けにして一時間もすると、水があがる。その結果、二日ほどでタルの二段分まで下るので追い漬けして現在は室へ入れる。室の温度は四十度までが頃合い。一週間で熟成する過程がすぐきの醗酵期間にあたる。

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  明治までは、室でなく、軒下にタルを並べ、稲ワラで保温していた。かまどのそばに置いて保温する工夫がやがて炭火による加熱保温が始まり、大正になって室が普及した。

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  つけ込みも荒漬けと本漬けの二段階になり、炭火、練炭の利用から65年(昭和40)に室の電化に成功、炭火と電化の両方の保温が採用されている。ここで、漬け込みにまず大きな違いが生まれる。

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  農家が苦労する種とりしても、農家の秘伝のひとつ。すぐきは大根に比べて丸い。味のいいのは茎の真ん中で、丸ければそれだけおいしい部分が多くなる計算になる。これも農家のひたむきな工夫から生まれた。戦後、北波新一郎、武雄親子がすぐきの優良品種の選抜に成功した話は有名である。

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  どの家も味自慢はしなくても、種取りからつけ込みの工夫、研究になると、話は途切れることはない。社家の並ぶ通りの「なり田」で先代の成田道泰(故人)から聞いたことがある。成田さんははすぐきのルーツを学術的にも研究した老舗の主人であるが、成田さんは、面白い例えをした。

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  「酒の銘柄があるように、まあ、いろんな銘柄があると思ってもらえばわかりやすい。 自分の口に合ったものを食べてもらうのが一番です。すぐきの酸味は乳酸菌、保存食でも生き物ですから、味は刻刻と変わるんです。食べるのはタルから開けて早いほどいい」 あそこで買っておいしいかったから、もう一度、買ってみたら、味が違った理由もうなづける。

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  すぐきの味はピンからキリまであるようだ。タルの上、中、下で味が違う。これをそうでないようにつくる。いや、牛肉と一緒でそのちがいこそ、すぐきの味わいという反論も聞く。何軒かの農家、小売りの店で聞いた造り方から味そのもの、味についての考え方についてこれほど多様、多彩な違いのある食べ物も珍しいのではないか。

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  造り方に工夫こらすすぐきは、大量販売に向いていない。もともとは文献によれば、進物品として、上賀茂の農家で受け継がれてきた継承と創造の味である。素朴な味わいでなく、どこか雅びの香りがするのも、こんな歴史と無関係でないだろう。明治二十六年、深泥池周辺で大火があり、生活に困った農家が京の町へ売りに出たのが本格的な市中販売の始まりになった。東京へ初進出は大正12年。初めてのすぐきの酸味に、戸惑った逸話が残るのは、このころのことだ。夫や息子たちの大量遭難で女たちがかつお節の行商にでかけた枕崎の話を思い起こす。販売の草分けの深泥池界隈の農家の主婦はこう語る。

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  「愛宕山の裏の村からここへ来るまですぐきについての知識は加茂から実家の周辺にすぐきの栽培にでかけてきたのを知るぐらいどした。嫁に来てすぐきに出会ったといえます。主人のすぐきへの思い入れは、自分でいうのもおかしいぐらい、子供をかわいがるとういか、子育てに似ていると、いいますな。うちは朝が早くて、5時から洗って6時半ごろから本漬けにかかり、昼までに作業を終えて、午後は翌日のすぐきを畑に引きにいく繰り返しがすぐきの季節の日課どした。一番のタルを開けた時の香りは、世の中にこんないい匂いがあるのかと、思うほどでした。匂い袋でもあれば、入れておきたい、そんな香り。味のいいのは香りも違うように思いますな。塩加減、室加減は、ようわかりませんが、カブラが色、味、香りまであんなに変わるのはびっくりします。お姑さんは12月から、振り売りというて町へ行かはりましたが、私は正月すんでから。売りにいくのは形の小さいのが多い。大学の先生のお宅や画家、商家がお得意先で、お茶をごちそうになりながら、いろんな話を聞かせてもらうのが楽しくて、つい、一日仕事にしてしまいました。すぐきの味についても、生の声が聞けますよって。それを主人や息子に伝えるのも、私の役割です」

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  ユリカモメ舞う上賀茂の農家の畑で、つけ込みの庭先で、酒の銘柄にも通じる一軒ごとに異なるすぐきの味を食べ比べでなく、聞き比べた。正月を過ぎ、寒を迎える1月末がすぐきの一番おいしい季節だ。

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 <京野菜> 全国はもとより、外国からの物資が集まり、宮中や社寺が野菜を求め、受け入れた。精進料理の発達による栽培法の研究が京野菜をつくりあげた。京野菜でもっとも古いのは九条ネギというのが通説。和銅4年(771)に稲荷神社鎮座とともに浪速から移入したと、伝わる。次いでセリ。この2種が数多い京野菜の別格。300年以上のものは、すぐき、堀川ごぼう、水菜、伏見とうがらし賀茂なす、持瓜、うきなかぶがある。江戸中期には聖護院かぶが定着する。近江かぶの種を聖護院村で栽培したのが始まりで、聖護院大根尾張から黒谷への奉納品。鹿ケ谷かぼちゃは津軽からの持ち帰りといわれている。京都市指定の京野菜は27種。京菜、壬生菜、水芹、九条ねぎ、時無大根、聖護院大根聖護院かぶ、すぐき、海老いも、堀川ごぼう、たけのこ、賀茂なす、桂うり、郡大根、青味大根、うぐいすな、松ヶ崎うきなかぶ、山科なす、新山科なす、もぎなす、西院なす、聖護院きゅうり、鹿ケ谷かぼちゃ、柊野まめ。このうち郡大根、聖護院きゅうり、西院なすの3種は絶え、流通しているのは約13種に減り、辛味大根など11種は小面積での栽培。栽培地は京都市外へ広がる。