第8回 侘助という名の椿に惹かれて歩いた京のまち    2008/01/07  閲覧(456+518)

== 古都に咲くもうひとつの雅 ==

  花の季節まではまだ早い。しかし、底冷えの町に凛として咲く花がある。

椿。苔の上に花びらを散らし、雪の中に赤い花の椿のイメージがふくらむ。本を整理していたら、目にとまったのがきっかけになり、椿を求めて京を歩くことにした。

いままで椿に関心があったといえばうそになる。気にもしなかった椿を訪ねる、思い付きは、壁にぶちあたる。椿の名所はどこか。この質問は愚問とあとで知る。椿のない寺はまずない。多くて数本、中にはぽつんと1本などさまざまであり、豪華絢爛の雅とは対照的なもうひとつの雅の世界である。

 名高い鹿ケ谷の霊鑑寺に向かう。ここは椿の寺の別名がある尼寺。普段は公開していないから、拝観はできない。寺の西北の入口に2本、正面石段下のお堂そばでつぼみをつけた1本、少し北へ歩いた石塀越しにも椿が梅と並んでいた。3月になれば拝観の予定あり、と聞き、あきらめて法然院への道をゆっくり歩く。

ああわ椿をヒヨドリがつついている。子どものころ、椿の花蜜を吸った記憶があるが、ヒヨドリも密目当てなのか。なだらかな石段が寺に通じている。色あせてヤブツバキが落ちていた。多くは半開のまま落ちる。まだ時期が早いようだ。落花の風情を予想していただけにがっかりする。

花で困ったら植物園が決まりだ。300種、400本の椿が植えられている。種類の多さに驚きつつ、椿園を回っていると、最初の出会いが待っていた。小さい半開の花に紅侘助の名がついていた。実につつましい。花は目立つために咲くものという先入観があったが、この侘助は違う。近くまで行かないと見逃してしまうだろう。そばに白侘助。名前の珍しさから、眺めていたが、色合い、咲き方といい、惹き込まれていく不思議な魅力のある花だ。

名前由来は侘びと好きの複合語とか、利休の下僕、侘助にちなむなど諸説があり、早咲きの白侘助冬の花。そこで、大徳寺塔頭の總見院に足をのばしては利休ゆかりといわれる名木の前に立つ。一輪のみ開花。この花は環境によって顔を変える。ひっそりではなく、おもねるこなく大胆に咲いていた。

  大徳寺から南へ、表・裏千家が並ぶ茶道家元の小川通では茶道具の店先に鉢植えの椿。「侘助やないか」と、呼んでしまった。出会いの花である。椿はその時々の場所、心理によって驚きや喜びすら与える。椿の名所は数多いが、観賞する側の好みというか、相性も椿にはある。自分の好きな風景や描いた情景に咲く花もいいが、思わぬ出会いこそ、一期一会に通じる心がかよい合う。

歩いたあとは、同志社大前の喫茶店侘助」が待っている。足元を除けば、純和風の造りに、木の目の浮いた分厚いテーブルが並んでいる。元祖のイモネギ(ジャガイモとタマネギの肉いため)定食を注文する。実にシンプルな味だ。コーヒーを飲みながら、学生たちの会話に耳をかたむける。ひとりだけ、ぽつんと、取り残された気分も悪くない。思うのはあの花、次ぎはどこで侘助に会えるかな。

拝観謝絶の寺が多いが、大徳寺相国寺塔頭、尼寺などの庭には必ず名椿がある。総見院侘助、北区大将軍の地蔵院には加藤清正が秀吉に献上したという五色散り椿の2代目、高台寺月心院には織田有楽斎の有楽、人形の寺で知られる宝鏡寺に村娘、霊鑑寺は八重侘助、日光、衣笠、白牡丹など京随一の椿寺評がある。二条城、詩仙堂をはじめ、椿にはことかかない。種類の多さでは植物園と並んで左京区一乗寺の武田農場。