第7回  「願いを込めておけら参り」    2007/12/21  閲覧(559+283)

  師走の半ばを過ぎると、京は正月モードにはいる。顔見世でにぎわう南座の招きが年の瀬を告げている。京名物のニシンソバを食べにはいると、ここは京の年寄りたちの社交場だ。一人で食べるおばあさんがいれば、グループ連れも目につく。「もう暮れかいな。せわしない」が合言葉。しかし、口でいうほど忙しそうになく、みんなゆったりしている。改革、変化の時代というが、京都人のあいさつは「相変わりませず」というのが、決まりだ。互いの安定の継承に価値あり、が歴史の教訓である。暮れにニシンソバを食べ、顔見世を見て、正月を迎えることが年寄りたちの生きがいにもなっている。中には着飾り、顔見世は看板見物だけで、雰囲気を楽しみ、ソバで満足するみえっぱりもいる。映画「ティファニーで朝食」の京都版といっていい。

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  ニシンソバの歴史は意外に新しく、明治生れ。江戸末期創業の松葉の先々代が発案した異質なものを組み合わせた創造の味である。くせのあるみがきニシンと淡白なソバの味が交じり合う。食べ出すと、くせになるから、不思議な味だ。

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南座から八坂神社の石段下までは老舗がそろっている。かんざしの店でべっこうの透かし彫りが目にとまる。45万円。聞いて驚いては「なんやひやかしかいな」と、足元をみられる。京の店にはひやかしの客を「夏の蛤」に例えるが、そのこころは「見くさって(身腐って)、買いくさらん(貝腐らん)」。結構、しんらつなのが京都である。ここで見栄をはる必要はない。余裕たっぷりと、300円ぐらいの品を買えば、「おおきにさんどす」となるのが京都ですえ。

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  石段下の大晦日はおけら火の参拝客でにぎわう。厄よけのおけら(薬草、キク科)をくすべた火種を吉兆縄にもらい、この火をくるくる回しながら持ち帰り、雑煮を祝うと、無病息災がかなうと、伝わる。

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  おけら参りは大正時代まで「悪口祭」の別名があった。1年のうっぷんをその年のうちにはきだしてしまう。全国各地にもこの風習があったが、当時の石段下は、まさに無礼講で悪口が飛び交った。井原西鶴世間胸算用には、悪口が面白く描かれている。「おのれは、3カ月以内にもちがのどにつまって、鳥辺野へ葬礼するわい」など今なら、警察が駆けつける言い合いが繰り広げられた。そして正月、当人たちはすまして「本年も相変わりませず」と、あいさつした。

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  石段をのぼる。境内にあった石標を探すと、南の中村楼前にあった。この石標は尋ね人の消息を知らせる連絡役で、人の集まる大晦日などは、誰かの目にとまる確率は高い。教え方、尋ね方の文字が刻まれ、迷子、安否不明の子どもを求め、ここに張り紙したという。石の前にたたずむ家族の姿が目に浮かぶ。境内での悲喜こもごもの1年の締めくくりと始まりを思い巡らし、拍手に力を込めた。