第4回 京都きたのやまの里 〜2〜  2007/10/20  閲覧(1014+660)

     別所から北へ、川を下り、京都市の山の家を過ぎて、大堰川に出会うと、大布施。京都市花脊出張所、駐在所、消防分署の並ぶ山里の官庁街?になる。細長い集落の中間地点であるとともに、花脊峠開通以前の水運合流点にあたり、ここから筏を組み、木材,木炭を運んだ。蛇行を繰り返す川は嵯峨まで36里(140キロ)に及び、困難辛苦の技を必要とした。地元の向畑虎蔵氏によると、江戸時代には隣接の八桝と合わせて年間2千表の炭を焼いた記録が残る。
     川の流れは雲と高さを競う杉木立を映し、蛇行しながら広河原へ通じている。夏場は鮎釣りの姿が見られ、川には清流の主、天然記念物のオオサンショウウオが住みつく。オオサンショウウオは名前の通り体長1にもなり、稚魚をえさにしているため、漁業者にはやっかいな存在だ。その貪欲さは人の手にかみつき、傷口を何針も縫った話がある。幻の蛇、ツチノコは陸にあがったオオサンショウウオという説は形、習性からあながち否定できない。兵庫県で今年、ツチノコ捕獲のニュースが流れ、オオサンショウウオと判明した。形は伝説のツチノコと類似しており、謎のツチノコ話は一軒落着ともいえるが、ツチノコ探しは、大人の童話として、深い山中に残しておきたい気がする。

     山の人々にとって、自然と動物たちの共生は今に始まった話でないが、「この頃は鹿。もう増えて増えて。庭にまでくる。バス停のそばで群れをなして跳ねる。学校の運動場なんか、格好の場で人を見ても逃げない鹿の里」と、地元の主婦たちは、大胆な鹿に驚く。人が鹿に囲まれて暮らしている。

     川をのぼる。原地。大悲山(741)を水源にする寺谷川と大堰川が交じり合う中州は8月15日夜、高さ20の檜を立て、先端の籠に向けて松明を投げ込む火祭りの舞台である。中州には普段、檜が横たえてあり、当日は哀調おびた音頭の先導で檜の周囲に地域の人たちが円をつくり、夜空に炎を投げる勇壮な火祭り。愛宕信仰の火祭りは隣接の広河原、久多でも行なわれ、松上げが終わると、山里に秋が駆け足でやってくる。9月になれば、早々と,暖房の準備だ。

     寺谷川を沿って行くと、大悲山峰定寺がある。縁起書には1154年(仁平4)、鳥羽上皇の勅願により、不動明王毘沙門天像が奉納され、大悲山寺、峰定寺と称するようになったという名刹だ。開祖観空西念は山岳修験者と伝わり、天台宗の持呪者、験者の聖地で知られ、山の形が吉野大峰山に似ていることから、北大峰とも呼ばれた。鞍馬寺末寺を経て本山修験宗聖護院派に属したが、現在は単立寺院。仁王門は川沿いに立ち、本堂(国・重文)は山腹の懸崖に舞台作りで建てられ、鎌倉時代後期の様式を伝える。400段余の石段から見る鮮やかな紅葉の後は雪に閉ざされ、拝観謝絶になる。かつて峰定寺の観音会が催された旧暦2月18日頃、京は風雪に見舞われ、大悲山荒と呼び、この地域は1を超える雪の中に埋まる。

     寺の入口には、山菜料理の美山荘がひっそりと、雅に暖簾をかける。隠れ里の料亭は京の老舗同様に「味もしっかりしているが、値段もしっかりとらはる」ことで知られ、60年代までは、素泊まりの1件宿であったが、先代が料理に工夫をこらし、著名な作家らが好んで訪れる名所になった。

     京都市最北の里、広河原能見口まではここから約4、歩くなら1時間の道である。右に曲がると、久多に通じる。大津市葛川に接し、川の流れは琵琶湖に向かう。久多の中央部の川畔に志古淵神社の祭礼に奉納されるのが8月24日夜の花笠踊。上、中、宮、下の各町が造花で飾った燈篭を頭にいだき、太鼓に合わせて踊る。無形文化財指定の踊りは中世の風流踊りの面影を随処にとどめ、足利家、醍醐寺に属した久多庄以来の歴史をしのばせる。

     難儀なことこのうえもない久多峠を再び越え、広河原へ戻ってきた。ドライバーにとって、緊張をともなうが、自信もつける道である。広河原のどんつき佐々里峠麓のバスの終点に京都市最北の喫茶店を見つけた。北山歩きの名所というべき廃村八丁の行き帰りのハイカーが休憩する山小屋造りの店だ。ここの雪は北陸に匹敵する豪雪地帯に属し、軒まで積もる雪に閉ざされた60年代に相次ぐ。5戸の集落の八丁は雪さえなければ、生活は豊かだった。昭和8年冬の豪雪がきっかけになり、1戸が山を去ると決めた時、全戸が山を降りた。挙家離村型過疎のおそらく始まりだろう。
     佐々里峠から広河原の道はサバの道でもある。サバ街道は大原からの若狭街道が有名ながら、実際は網の目のごとくあり、小浜を出たサバ行商の1部はメインルートの若狭街道をはずれ、福井県名田庄から丹波に入った。広河原の年寄りたちは、京より新鮮な魚を食べたと、なつかしがる。やんちゃ坊主が道に手を広げ、行商のおっちゃんからあめをもらった。道筋の家はのどかな山の里の原風景を茅葺屋根の奥にしまい込んでいる。

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