第1回 京のまち歩き 〜その1 夏の旅〜 2007/09/19 閲覧(393+229)
京都の夏は蒸し暑いで広く知られている。しかし、湿度が高いわけではなく、高温と風のない盆地特有の風土が「蒸す」と、受けとめられているだけだ。
この暑い京の夏は、春、秋のシーズンに比べて入洛客は少なく、汗をかくことをいとわないなら、散策に適している。
お寺の縁側でごろり、横になっても目立たない。一昔前は昼寝に寺へ行く話もあった。入道雲を眺めているうち、一転にわかに掻き曇り、あやしげなモノトーンの世界が寺を包む。
京の庭がとりすました顔をすてて、語りかけるのは、夕立前の閃光時と、常々、思っている。
夏の京の涼しい話を紹介する。
場所は鴨川沿いの五条南と高瀬川沿いの四条小橋のそばに、エノキ(榎、ニレ科・山城地方に群生していた)の古木がそびえている。五条の古木の近くに祠があり、直径1ほどの枯れたエノキの中央に穴があいている。
覗き込んでも底はみえない。「み(蛇)ーさんが住んではるというて、みなさんお参りしはる。前で店をしているからお世話している」というおばあさんから以前、聞いた。
この一帯は、平安初期、嵯峨天皇の皇子、源融(みなもととおる)の広大な屋敷があったところで、かの源氏物語のモデルともいわれている人物である。
枯れたエノキはその時代からのもので、蛇は屋敷の主というのが、おばあさんの説。ある日、そびえる古木の枝を払いに来た作業員が枝に白い蛇を見つけ、逃げ帰って以来、お参りが増えた。祠の穴は平安時代に通じる入り口、落ちれば千年の旅の始まりになる。
高瀬川沿いのエノキは高さ10mはある。このあたりは土佐藩の屋敷跡で、このエノキ1本のみが江戸時代の生き証人である。
江戸天明の大火の際も、エノキの直前で火勢はとまった。「大火とまり」が一帯の通称として残る。30年前、木屋町で火災が発生するが、エノキの根元の寿司屋と枝を伸ばしている名曲喫茶だけは火災を免れた。火事のあと、建て替え工事のため、エノキを切ることになった。業者に依頼すると、あの木はたたりがあると、請け負わない。結局、宙ずりにして工事をするが、8カ月の期間中もエノキは耐えた。
元の場所に埋められたエノキはビルの1階壁に穴をあけてもらい、寿司屋の調理場まで根をはわしている。み−さんがいやはる。あの木はお守りや、と、お社ができた。京の夏は、不思議な魅力を秘めている。
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<メモ> 定期観光バスの旅はみやび、わび、あじわい、うるわしのコースがあり、5時間から6時間コースで料金は9000円―9500円(昼食込み)