第24回   彦根 井伊直弼と青春の城下町   閲覧(146+185)   2008/10/14

 全国にお城と若者が似合う城下町は数多い。中でも近江の彦根を青春の城下町の代表にあげたい。古い映画では吉永小百合主演の「青い山脈」のロケ地が彦根の町と城だった。原作は信州が舞台であったが、詰襟、セーラ服の高校生が行き交う堀端と見上げる天守閣が作品にぴったり、はまっていた。そのはずで、彦根城の掘端には大学、高校、中学があり、さながら学生街になっている。

 彦根は琵琶湖に面した北に城があり、南に市街が広がる。天守そびえる彦根山を中心に内堀、中堀、外掘をめぐらした城下がすっぽり堀の中にはいる総構えの縄張りだ。堀と堀の間には、武家屋敷があり、内堀沿いには1000石以上の重臣、中堀沿いは500石クラスの家臣と町家、寺、さらに外堀沿いに100石の家臣、町家を配したまちづくりは、江戸初期の城下でありながら、戦国の城である。信長の安土城下、秀吉の長浜、秀次の近江八幡に比べて、時代は後であるが、町家の印象が薄いのは、その守りを固めたまちづくりにある。

 彦根は、関ケ原の後、徳川4天王の井伊直正が石田三成居城(現彦根城から南東1キロ山中)の佐和山城主になり、直継の代で湖岸寄りの彦根山に築城された井伊35万石の城下町。彦根城は一度も戦火にあうことなく明治を迎え、関ケ原後の築城400年の遺構は国宝天守閣、重文の櫓、外堀(旧中堀)、内堀など江戸期のままの形を残している。戦国期から安土・桃山時代の琵琶湖周辺には、秀吉の長浜城、信長の安土城明智光秀坂本城、秀吉の甥、豊臣秀次の八幡城、石田三成佐和山城という名城が築城されるが、いずれも廃城になり、琵琶湖をのぞむ現存の天守と城郭は彦根城のみ(注・長浜城は一部再建)になった。彦根城には佐和山、安土、大津、小谷などの旧城から石垣、建物が移築され、湖畔に浮かぶ近江の象徴である。

  世の中をよそ見つつも埋ものれ木の 埋もれておらむ心なき身は

 生涯、300石並みの生活を覚悟しつつ、研鑽に励んだ直弼は、茶道では一派を立てる茶人であり、国学においても一流の評価があった。幕末の凡庸な大名、一族が多い中で直弼はすでに傑出しており、兄たちの死により、36歳で藩主を継ぐと、たちまち幕政の中心になることは、当然といえた。埋木舎時代の人脈には後に直弼の側近になり、影の大老とまでいわれた長野主膳がいる。開国の決断、反対派弾圧の安政の大獄に見られる直弼の政治は激動期の非凡な指導者がたどる運命と陥穽を感じる。直弼は生前、述懐する。

 「人間はおのれの意志通りに歩いているつもりでも、いつのまにか、時代の潮に行く手を決められてしまう」

 直弼は養子の口もあったが、断られ、時代は直弼の出番を黒船来航の3年前に設定した。譜代筆頭で、御3家の水戸藩と同じ35万石は、徳川幕府では際立つ石高。直弼を含めて14代藩主のうち6人の大老を送り出した彦根藩の存在抜きに幕政を語れない。京の守護が井伊家の任務であったが、彦根藩には、家康の命で「京に変事あるときは、天皇彦根に」という家訓が密かに語り継がれてきた。しかし、京都守護、相模守護、大老の役務は物入りだ。彦根藩をもってしても、苦しく、政商の存在が浮かびあがる。京の公家、大奥、諸大名との活動資金を用意するバックあればこその果断な対応が可能になった。

 直弼が彦根を後にしたのは、安政5年。庭園で最初で最後の茶会を催して江戸へ旅たつ。

 安政7年3月3日朝、桜田門外の変が起こる。直弼暗殺を、幕府は表向き病気にして、公式には3月末に病死発表している。事件の夜、臨時飛脚便が江戸から西へ向かった。彦根でなく京の「丁吟京店」へ便だ。

 彦根藩領は幕末から明治にかけて、第二次近江商人を輩出するが、麻布、呉服を扱う「丁吟」は幕末の豪商である。丁子屋吟右衛門は、彦根藩の財政に深くかかわり、純資産14万両の大店は、幕府が横浜、長崎、函館を開港、米・英・仏・オランダ・ロシア5カ国と自由貿易を認めた井伊大老下のわずか1年で金、銀貨幣売買による運用益は2万5千両を稼ぎ出した。バックには直弼に重用され、丁吟を通じて資金運用し、直弼の活動資金を捻出した公用人、宇津木六乃丞がひかえていた。暗殺の一報は、彦根藩より早く、京の店に知らされた。暗殺の模様は「お殿さまの御籠を取り巻きつつ、抜き身3本ばかりを籠に差込み、してやったりと、声をあげ候」と、中継さながらに描写している。彦根藩江戸邸から彦根藩に事件が知らされたのは7日夜。事件で混乱する江戸邸に丁吟は3日夜、番頭が藩邸に詰め、1万6千両を用立てている。同時に金銀貨売買の対象になった小判、一部金など江戸から京へ避難させ、営業自粛している。近江商人の情報に対するスタンスと、対応の速さに驚くしかない。しかし、直弼暗殺は徳川幕府の終焉を早めた。彦根藩のバックになった近江商人もまた幕末から維新で衰退に向かう。

 今年は開国150周年を迎える。直弼が大老でなければ、幕府が日米修好通商条約締結を決断できたなかっただろう。彦根では各種イベントが予定されている。青春の城下町と、直弼の生涯を重ねて、堀端から天守閣を見上げる。直弼暗殺後、藩の政変で長野、宇津木とも斬首になった。また京都で諜報役を勤めた芸妓たかも三条河原にさらされる。暗殺は、かつての側近の運命まで変えた。彦根は江戸の面影を色濃く残している。堀端のたたずまいは、しじみとした風情があり、心安らぐ。しかし、時代の転換期に生きた男女たちのドラマを秘めた町並みは、どちらに転ぶかわからない時代を歩く緊張感がある。