第19回   「茶々」ら戦国3姉妹のふるさと小谷城跡をゆく  閲覧(239+390) 2008/06/23

 琵琶湖を取り巻く近江は湖北、湖西、湖東、湖南の4地域に分かれ、気候風土、歴史、民俗など大きな違いがある。湖北は天下分け目の関ケ原に隣接する東と西の境である。食べ物の味、形にしても江戸風と関西風が湖北を境に分かれ、正月の雑煮を例にとると、角餅と丸餅、すまし汁と味噌味に線引きできる。大きな時代の流れは湖北から起こる。近江では現在にもあてはまる格言だ。信長は姉川の戦い小谷城攻防、秀吉は賎ケ岳の戦いを制して天下人に登りつめた。その湖北から日本史で名高い3姉妹が生まれた。信長に滅ぼされた浅井長政お市の遺児である。長女茶々は豊臣秀吉側室、次女お初は京極高次の妻、3女お江与徳川秀忠妻になり、娘和子は御水尾天皇の間に興子内親王(のちの明正天皇)をもうけ、歴史に名を刻む。この旅は琵琶湖を北上、戦国の舞台になった小谷城址を訪ね、浅井一族の滅亡と、生き延びた3姉妹の足跡をたどる。

小谷城が築かれた小谷山は西南麓に美濃と越前を結ぶ北国脇往還が通り、西には京と越前を結ぶ北国街道が通る古代からの交通の要所である。長浜から車で30分の距離だ。冬は雪深く、湖南と対照的な日本海式の気候になる。小谷の北、福井県境の栃の木峠は積雪630(昭和56年)を記録している。山と集落は箱庭のようなのどかさが漂う地域は、1570年(元亀1)の姉川の戦いに始まり、落城までの3年、砂塵まいあがる戦場になった。戦いは春を過ぎ、夏とともに相まみれるのを常にした。

攻めて始めて知る深い谷を持ち、高く、険しい山城は日本三大山城に数えられ、姉川の勝利で一気に攻めこむ織田信長の前にたちはだかった。信長をしても攻略に3年を要した要塞であったが、麓の群上、伊部の城下は市が開かれ、城下町の先鞭になった。秀吉は長浜築城にあたり、城下の商人をそっくり長浜へ移している。長浜にはかつての小谷の町名がそのまま残っている。

谷川のせせらぎが誘う清水谷には、杉木立の中に平坦地がある。浅井氏の居館跡。お市、茶々ら3姉妹が生まれ、育った場所である。うっそうとした山中には、往時の面影はなく、屋敷跡の石標のみが立つ。険しい山道を追ってから逃れて歩く幼い子どもたちの姿が目に浮かぶ。

1573年8月15日、織田信長小谷城へ総攻撃をかけた。長政家臣の一部は秀吉と内通して長政を見捨てていた。9月1日、長政はお市、娘3人の脱出を見届け、小谷城赤尾屋敷で自刃した。29歳。長政生きているならば、と、その死を惜しむ史家も多い。浅井氏は長政の祖父、亮政が京極氏につかえる地元の豪族から出発し、湖北を治めていた京極氏に取って代わり、実権を握り、小谷城を築く。長政は3代目の剛毅な若者として成長、16歳で家督を継ぐと、勇名を高め、美濃の斉藤義龍(道三の子)を破り、信長の目にとまる。浅井三代記によれば、妹お市との縁組は信長の方が積極的で、ゆくゆくは天下を二人で治める約束まで交わした。信長上洛には随行し、親密な関係は、家康をしのぐとも噂された。信長は気を許し、浅井家臣の中には、信長暗殺を進言するが、長政はとりあわなかった。ところが、信長の突然の越前朝倉氏攻めが二人の関係を裂く。かねて同盟関係の朝倉氏に付いた長政は信長の敵になる。長政は再三にわたる投降の呼びかけを拒否、信長の怒りをかった。彗星のごとく湖北の戦国舞台に登場、孤立無援の中で世を去った長政。信義と裏切りは戦国のならいとはいうものの、最後は、朝倉との義を選んだ長政の胸に去来したのは、お市と娘たちの去就だった。

城を脱出した3姉妹は小谷城東麓の浅井町にある実宰院にかくまわれる。ここは長政の姉、昌安見久尼の寺。娘たちは道中、尼の衣の中に隠れ、残党狩りの目を逃れたという。寺は豊臣、徳川時代には手厚い保護を受け、現在は禅宗寺として残るが、生き延びた茶々ら3姉妹の尼への思いが伝わってくる。小谷城の出丸跡そばには、小谷寺がある。森の中の小さな寺は、浅井家ゆかりの寺で、「淀殿寄贈」という長政像が残り、娘たちのふるさと、小谷の語り部役を果たしている。3姉妹のその後については諸説あるが、お市が再婚した柴田勝家の北の庄に移り、ここで勝家と行動をともにした母を失う。秀吉にひきとられた後は、日本史に名を残す3姉妹になった。

 小谷城跡に立って琵琶湖をのぞみ、長浜から伊吹山へ目を移すと、思いは時空を超えて戦国へ飛ぶ。浅井氏滅亡後、信長、秀吉の陣に加わった石田三成片桐且元脇坂安治藤堂高虎らの武将たちもまた、浅井氏につながる糸で結ばれる。男たちの旅路は湖北を振り出しに、秀吉とともに近江路を進み、やがて城持ちになり、秀吉没後はふるさと国境で東西に分かれて対峙、明暗を描いた。茶々、お江与の姉妹も大阪城江戸城で天下のすうせいを見つめ、茶々は父・母の元に逝く。まぶしいばかりの初夏の光に包まれた湖面のさざなみは、姉妹と浅井一族の光と影、心の揺れを映しだしている。小谷城落城から435年の歳月を経過して、また暑い夏が訪れようとしている。

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 小谷城址 小谷山尾根に主郭があり、本丸、中の丸、京極丸、山王丸などの曲輪跡が連なる。標高495の山頂にも砦が築かれ、麓には城主館、家臣の屋敷があった。建物の大半は長浜城へ移築された。現在は本丸周辺の石垣が残り、公園になっている。