第16回   散り急ぐな やすらいの花よ   閲覧(359+403) 2008/04/08

〜桜吹雪の京を行く〜
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  花冷えと雨がやはり、やってきた。突風を道連れにしている。ためらいつつ、桜が散り始めている。今年の京都の開花は3月27日。 4月になって市内の桜は見ごろから満開になった。

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  円山に行く前に疏水インクラインへ足を向けた。ソメイヨシノが風に舞っている。線路にかぶさるようにソメイヨシノが咲き乱れている。突風に、花ビラが舞い、疎水に花模様を描く。

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  インクライン廃線線路を歩きながらあびる花吹雪は、ふるさと風景に近い。レンガと線路の組み合わせは明治、大正のモダンな趣があり、そこへ花が降りかかる。社寺の桜中心の京都では異色の花見どころだ。 もっともここは、花見の宴には向かない。歩き、立ち止まり、時には舞う花びらを追いかける。童心に帰る舞台である。酒を手に、さあ、ぱっと行こう、というなら夜桜の円山公園だ。

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  円山へ行くなら、暗くなる前がいい。花見のベテランがこう口をそろえる。前日、の桜の名所、山崎聖天でも感じたが、夕暮れから暗にはいる直前、あの花は鮮やかさを際立たせる。光を失う一瞬、近づく闇へ向けて、花独自の色を放つ。

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  円山のかがり火の下では気づかない色の変化が薄暮にはある、と酒飲みが酔った勢いで、酔う前に見た桜を講釈しながら、顔を赤く染めている。

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  枝垂れ桜の周りを歩く。この枝垂れは五十年前移植された二世。一世は樹齢二百年、根回り4メートルにも達した。円山の五両桜の名があったが、茶店によれば、明治の初め、切り倒されそうになったのを、通りがかりの人が五両で救ったと、伝わっている。


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  接ぎ木で育てあげられた二世は、植えた翌年、ジェーン台風にあった。「二世を手がけた佐野藤右衛門(先代)さんが暴風雨の中で若木を抱いて守らはった」。嵐に身をさらして、枝垂れ桜を支えたドラマは木の成長とともに、忘れられがちだ。

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  桜の散り初めで思い浮かべるのが、今宮神社のやすらい祭。京の奇祭に数えられるが、花ビラが飛び散る頃、疫神が分散して疫病として都人を悩ますと信じられてきた。その疫神を鎮めるための花祭で、やすらいはやすらかの意。

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  桜の散る頃、都の人たちは、桜よどうか、やすらかに散ってほしい、という願いを込めた。

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  のどかなる春の祭の花しづめ風おさまれと猶祈るらし 新拾遺集藤原長能

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  花に嵐は、心を激しく揺さぶる。花に寄せる日本人の心の原型を見る思いがする。花の季節の訪れは、雨と風、暑さの日々を連れてくる。

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  疫病への不安が花とともに芽生えていく。やすらいの花よ、と、風に舞う花へ人々は口にした。

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  祭では笛、鉦、太鼓にあわせて行装の一団が「やすらい花や」と囃して神社へ向かう。祭の行列衣装があまりに華美の理由で一時、勅命で中止されたこともある。 祭の性格上、うなずける部分と、政に携わるものたちが人々の心の高まりを懸念した政治的処置の見方もできる。

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  「散り急ぐな、やすらいの花よ」

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  四季の移り変わり、自然に対して、われわれの先祖がかくも優しく、美しく接して来た心を伝えている。

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  やすらい祭  4月の第2日曜。今宮神社は疫神を祀る京都屈指の古社のひとつ。都で猛威をふるった疫病を鎮めるため、朝野をあげて御霊会が営まれた。市バス北大路千本、船岡山下車。
 やすらい祭は四地区で行われ、紫竹上野町・光念寺出発−今宮神社(午後2時半頃)−光念寺。紫野雲林院町・玄武神社出発−氏子区域−玄武神社。西賀茂川上・大神宮神社出発−氏子区域−神社。上賀茂・岡本やすらい堂出発−上賀茂神社−やすらい堂。
 烏帽子など行列は、草花の美しい緋の衣笠を中心にして、四人の鬼を従えて一団を構成、囃しながら踊り、神社へ参詣する。

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  【京の名木変木】 古木は京北町の常照皇寺の九重桜。御所の左近の桜は昭和3年移植の山桜。上京区の閻魔堂は足利義満世阿弥花物語で知られ、昭和24年植樹の普賢桜。宝鏡寺は八重桜、平野神社は手弱女(たおやめ)、鞍馬寺は雲珠桜。珍種は植物園の兼六園菊桜、亀岡の大本本部では世界で一本自生のコノハナザクラ。仁和寺の桜は「わたしゃお多福、御室の桜。花が低くても人が好く」と遅咲きで有名。



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