第124回 御食っ国(みつけくに)伊勢志摩

  〜神饌・熨斗鰒(のしあわび)の国崎をゆく〜
          
  サミットが終わ り、伊勢志摩から通行止めの表示はほぼなくなった。サミットでトバされ、TVに出る機会の少なかった鳥羽まで京都から特急2時間15分。鳥羽は伊勢湾の入 口に位置し東に渥美半島が思い切り手を伸ばし、神島、答志島を経て結ばれている。前は太平洋なのである。二見浦は鳥羽にあるとおもいがちであるが、伊勢市 に属し、ここから北が伊勢湾になる。関西の小学校の修学旅行はここ二見浦が定番になり、子どもたちには枕投げのふるさとだ。

鳥 羽から外洋沿いに車を走らせ、海の色は外洋に面していて深いブルーだ。鳥羽の二見浦からパ−ルロードを走ると、左手に「海の博物館」がある。ここから車で 10分で太平洋の荒波が打ち寄せる鎧崎に着く。岬の付け根に広がる地域が国崎(くざき)。125世帯366人が集落を形成し、漁業を営み、62人の海女が 鮑とりをしている。かつては男も潜り、昭和の初め頃までは50人を数えた。現在は5人になった。夫婦で潜り、民宿を営む家族もいる。

 6月の海はアワビ (鮑)の季節を迎えている。伊勢神宮の神饌の代表格は鮑である。月次祭神嘗祭(かんなめ)の三節祭ではアワビを納めた辛櫃(ひつ)が祭列の先頭をしずし ずと進む。昔、昔から鳥羽市の国崎から納めるのが決まりである。日本書紀伊勢神宮起源譚の中にこうある。
          
   天照大神の宣託で 伊勢神宮を建てた倭姫命(伝説によれば垂仁天皇の皇女)が巡行の途中、国崎に立ち寄り、土地の『おべん』という海女が出したアワビを食して気に入り、倭姫 命は毎年、神宮へ奉納するよう命じたが、おべんは生のままで腐るため、薄く切り貯蔵するのがよろしいと、いい、以来、2千年の間、国崎からアワビが奉納さ れてきた。

 国崎には「おべん」を祀る海士潜女(あまかずきめ)神社があり、海女たちの信仰を集めてきた。毎年7月1日の例祭には伊勢神宮から舞の奉納が古式ゆかしく営まれる。近頃は海女だけでなくダイバーたちが守り神として参拝するスポットになった。

 国崎では6月の声 とともに熨斗鰒(鮑)つくりが盛んになる。岬の森の中、「御料鰒調整所」という社務所に古老たちが集まり、リンゴの皮をむく要領でアワビの身をひも状にの していく。熨斗とは中国の伸ばすからきており、アイロンのことを中国では「熨斗」という漢字を使う。「のし」は延寿に通じ、長寿食のアワビと結びついて熨 斗鰒を神饌にする風習ができた。
          
  熨斗は祝いことに欠かせない飾りであるが、一般の風習では略式化され、紙が代役をはたして今日にいたるが、神宮は本物のアワビを使う。

古老たちは年齢順に座り、最年長の舵取りで作業が進んでいく。若いころは外洋に魚を追った漁師仲間である。

  アワビはぬるぬるして熨斗には年季がいる。鎌の形に似た熨斗刀を右手に持ち、左手にアワビをつかんでくるくると、ひも状にしていく。農家のかんぴょうむき に近い。熨斗鰒の長さは古老によると、700㌘のアワビで3㍍半ほどある。むいたアワビは天日干しで乾燥されるが、干場にはひも状のアワビがぶらさがり、 太陽をあびている。

 仕上げは干したア ワビをそろえ、奉納の形にする作業。早朝6時に集合した古老たちは12人。80過ぎても手先はしっかりしている。熨斗鰒には3種あり、大身取(鰒)、小身 取(鰒)、玉貫(鰒)に分けられる。最古老がアワビを寸法通りに切りそろえ、次席の古老が大身取鰒は幅広のものを10枚束ねて整え、小身取鰒は中位のアワ ビを5枚束ねる。下座の古老の玉貫鰒は小片24枚を1連として新藁の縄に編み上げる。父子代々に渡り、国崎で継承されてきた流れ作業はゆるやかに進行し、 渋滞すら起こらない伝統の技。感心すると「そら年季がはいってますわな」と、笑われた。

 一年でどのくらい のアワビを神宮へ届けるのか。漁協組合によれば年間700キロはくだらないという。高齢化と資源問題は伝統の行くすえに黄点滅の信号を送っているが、なか でも高級のクロアワビが減っている。クロアワビは大振りで肉厚く、岩場の底に生息していて、力のある海士(男)が潜りの狙い目にしていて、海女たちの怖い 目にさらされている。値段も牛肉特上クラスとか。肉厚つのため、ステーキなどに使用されることが多い。赤身のアワビは肉がやわらかい。

 国崎の海岸を歩く。海岸の傍は岩礁になっている。アワビの好物のワカメ、アラメの豊庫である。海藻を食べることからアワビは目や内臓にいいとされ、国崎では妊婦にアワビの肝を食べさせる。「目のきれいな子ができるというてな」と、民宿の女将が自分の目を指さして笑った。

 ダイバーたちは 15キロもある重石を手に一気に潜る海女の姿に驚く。ここでも返ってくるのは「腕と年季がちゃう」と胸をたたかれた。どこでも海沿いの女たちは豪快であ る。国崎では「てー(男)の一人ぐらい養えんようではやや(女)の値打ちがない」というのが海女小屋で聞く女たちの会話だ。まことにもって伊勢志摩の男た ちがうらやましい。この話、能登半島の輪島でも耳にした。海女の年収について聞くと、最近は資源保護で潜る回数、時期を限定しているため昔のように10日 余りで100万は軽いという話はなくなった。国崎でも1日1回、2時間までと決めている。15日間潜って新入社員の給料よりはいいそうだ。命がけの肉体労 働の対価として安い。海の博物館の調査では素潜り海女は世界で日本と済州島を中心の韓国しかいない。
          
   志摩の海は黒潮が 北上、伊勢湾流との潮目をつくり、魚が集まってくる。リアス式の海岸は海藻の生育に適し、アワビにとっては潮であらわれた海藻を食べるまたとない環境に なっている。土地の人によると、アワビは集団で移動するといい、あの形でひらひら泳ぐそうだ。このアワビを好物にする天敵は伊勢エビとタコ。いずれも志摩 の名産である。タコなど伊勢エビとアワビを食べる贅沢な生き物で、あの独特の味わいは伊勢エビとアワビを食した結果と知るなら、うなずける。タコは岩場の 隙間にいるアワビを吸盤と足の力で引きはがす名人で、以前、タコ豊漁の年はアワビがいなかったとか。岩場の底にアワビの殻が大量に見つかることもあった。

人 間もタコのことをいえた存在ではない。井原西鶴は「芋、タコ、南瓜は女の好物」と書いているが、志摩の女はここにアワビとエビを加える。海の女はたくまし い。男は漁で命を落とすことが多いから、おのずと生活感のある女たちができたという見方ができるが、これは本来、女の持って生まれた気性なら、世の男たち はメンツにこだわりなんという誤りの歴史を歩んできたのか。男は家でブラブラして子づくり。女は子を産み、育て、稼ぎまくる。これが創造の神の考えたある べき姿。ライオンの群れ社会でも働き手は雌だ。チンパンジーの研究もいいが、哺乳類の雌の本質を研究する学者がもっと出て革命的な論文を書くべきだろう。

 太平洋の海は気も 大きくする。残念ながら私は女性から尻は叩かれても、まかせなさい、ついておいでと、胸をパーンと叩いた女性に出会った経験はない。それだけに古希を過ぎ て知る国崎の海女たちの思想信条は水平線に上る朝日のごとく希望を与えてた。燃え尽きんとするろうそくが油をもらった気分である。
          
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 メモ 国崎への途中にある「海の博物館」はぜひ立ち寄りたい。体験学習や志摩の民俗を展示している。博物館ではユネスコ世界文化遺産に「海女」を登録する運動している。
  「伊勢神宮徴古館」はバスで内宮行、徴古館前下車。神宮の神宝や装束など伝統工芸を展示。ベルサイユ宮殿を模したルネッサンス風の明治建築。
          
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