第123回 フアン待望の京都鉄道博物館GWオープン

  〜旅路はるか梅小路に鉄路の精鋭が勢ぞろい〜

          
  このGWは美術フ アンには東京上野の「若冲展」、鉄フアンならこちら京都鉄道博物館が人気を呼んだ。旧梅小路機関区は京都駅西の山陰線高架西にあり、住所地は歓喜寺町に なっている。梅小路の町名は平安京条坊の梅小路に沿った梅小路村説がある。現在、道路の梅小路は貨物線沿いに南北に延びた道。西の梅小路頭、本町、東町があり、地図の上では隣り合わせになっている。ところが梅小路東の京都駅寄りも梅逕学区の名があり、梅の小路に関連する地名が東西に広がる「梅」ところだ。明治以降は元機関区の名が定着した鉄道の町でもある。
   京都駅を出て、伊 勢丹沿いに西に歩く。ビルの谷間の通りであるが、古くは平清盛の広大な西八条第屋敷があり、清盛は六波羅と西八条に一族の住まいを構え、権勢を誇った。明 治になり、東海道線大阪―京都間の開業にともない、明治9年(1876)9月6日、最初の蒸気機関車が走った。京都駅は工事中のため、9月から翌年2月ま で大宮仮駅舎ができた。七条ステーション、京都の人は「ひっちよすてーしょん」と呼んだ。この駅は鉄道フアンが探した幻の駅である。
  文献によると京都駅は仮駅舎の東へ40鎖(800㍍)延長とあり、また当時の線路は現在より7鎖半(140㍍)北。つまり幻の駅は伊勢丹の西北にあたる。大宮仮駅は京都駅周辺の宅地開発で地下に埋もれ、「このあたりにあった」という説明にとどまっていた。
  平成になり、駅前のホテル建築にともない、発掘の結果、仮駅の遺構が110年ぶりに顔を出した。住民に話を聞くと、官有地に家を建て、登記簿には線路が通っていたという。現在の市バス三哲車庫からアパホテルあたりが仮駅舎跡になる。
  大宮通東の梅逕中学前にきた。梅逕とは梅の小路の意味で、清盛屋敷とつながりのある名かもしれない。梅小路と梅逕。本家争いが起きてもおかしくないが、文化の冠をいだく京都市民にはいわずもがなの話だ。
  梅逕中学は明治5年創立の元番組小学校である。その校歌たるや大学校歌に負けぬ香りがある。京都はいろいろうるさいところながら、教育にかけた明治の心意気はすごいものがある。いまも中学校歌に継承されている。

   ♬♪   古都平安の南に 若き生命の集いあり
       高く清く手とりあい はげむところぞ我が梅逕
       その名もゆかしくひびくなり
       花とこしえの春ならば 梅が香したうぐいすも
       時来れば飛び立ちて 
       身に移したたるその香り 忘れず四方を清めなん

  子どもの頃から雅な校歌に親しんだ学区民。京都の文化は大学がつくったと学歴にこだわる向きには、この明治以来の校歌を歌ってみることを勧める。
  梅の小路は鉄路に変わった。新幹線をはじめ、特急が、そんな昔をしるもんかと、走りぬけるが、梅小路を機関区に、さらに鉄道博物館に選んだ文化の香りは健在だ。
  鉄道博物館への途中、ビルの隙間の路地に祠があって、いかにも京都らしい。梅小路まで歩いて約30分余、路地散策しながらの道は楽しく、これは発見であった。
          
  私が記者になり梅小路機関区を取材した1968年ごろ、山陰線にまだSLが走っていた。SLが姿を消していく現状を国鉄当局が憂慮して梅小路機関区の扇形車 庫に動態保存を決めたのもその頃である。関東(栃木)と京都が候補にあがり、山陰線でSL運行中であることが梅小路選定を後押した。新米記者の夏の記事の 定番は「消えゆく窯の炎」のタイトルで窯焚きを書いた。油のついたあの青い乗務服、汗びっしょりになって石炭を投げ入れる若者は格好よかった。
  当時の人気TVドラマ「若者たち」を重ねて機関区をたずね、煙をあげて出てゆくSLを見送った。職能集団であったSL機関士たちは電化と合理化により手にし た技術を失いつつあった。仕事を覚えれば一人前の時代は終わった。炭鉱、蒸気を退けた70年代の日本の技術革新の光と影がここ梅小路にある。山陰線を走る SLの姿と、機関車の窓から手を挙げた若者たちが無性になつかしい。
  SL館は72年(昭和47)オープンした。旧機関区には最盛期85両のSLが車庫入りしたが、SL館は18両を保存、このうち6両を動態のままにした。SL館長だった安田喜一さんに聞いたことがある。
  「SLは自分で石炭を食べ、水を飲んで走る。つらいときはあえぐ。逢坂山トンネルなんか砂をまいてケツをたたいた。わたしらには人間同士のつきあいでした」
  4月29日開業の京都鉄道博物館はSL館を引き継ぎ、車両もSL20両をはじめ新幹線やブルートレインなど鉄路の仲間たち53両を展示している。博物館正面 はSLでなく超特級リニアをイメージしたかのようなデザイン。入口は改札口スタイルだ。京都駅の案内ポスターがどことなく若冲手法なのが面白い。
         
  本館は広大な吹き抜けになっていて下からも上からも展示車両を見物できる。最初の500形新幹線、寝台特急581形、明治36年製造の国産最古SL230形 233号機など豪華な顔ぶれがそろっている。2階は休憩室に50系客車を使用し、ここで弁当など飲食もできるが、レストランは別にある。
  展示は本館、プロムナード、トワイライトプラザ、扇形車庫、引き込み線にわかれ、鉄路を牽引した明治から現代までの車両が集まる。いつでも動ける車両も含ま れ、山口線SLC57は春から秋は山口に駐在、冬期のみ梅小路に出張してくる。信州の山岳地帯を走ったC56はSL北びわこ号として湖国のおなじみになっ たが、引退の時期が近付いている。SL館時代も人気のあったSLスチーム号は、鉄博でも煙をあげている。往復1キロ10分の旅に子どもから大人まで列をつ くり、順番を待つ人気物だ。
  興味深いのが引き込み線である。営業線とつながり、いつでもここから本線に連動するシステムになっている。本館1階と一体化して車両の入れ替えも可能だ。ト ワイライトエキスプレスの電源車カニ24形が停車中だった。引き込み線の雰囲気が漂うのは本線につながる構成からだろう。味な演出である。トワイライトフ アンはここでカメラを構え、ポーズをとること間違いない。
  閉鎖の大阪の交通科学博物館からも大半の車両が梅小路に移ってきた。交通科学博物館はよくできた展示館であったが、大阪になじまず、新幹線など比較的新しい 車両が並ぶ展示はいまひとつ印象が弱かった。ところが交通科学博物館から車両を移してSLなど明治、大正、昭和の車両と並べると、新旧車両が生き生きして くるから不思議である。
  本館3階はスカイテラス。新幹線から在来線、嵯峨野線(山陰線)、貨物線の梅小路デルタゾーンが一望できる。走りゆく列車をながめ、旅路はるかの回想に浸っていると、ポォッとあの汽笛がして、回想と現実がごっちゃになった。また旅をせかせる汽笛が響いた。
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  メモ 鉄道博物館は京都駅からバスで5分。JRなら嵯峨野線丹波口駅から徒歩15分。京都駅からは徒歩30分。休日は混むため、午前中がいいとか。入館料大人1200円。
  周辺は公園化され、近くに水族館もある。

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