第122回 新月の夜、富山湾は蛍光に輝く

  〜住みよい県NO1のホタルイカを求めて〜
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   金沢から富山の東に立山連峰がそびえる。霊峰の名にふさわしい信仰の山だ。春から新緑の頃、富山はホタルイカの季節である。琵琶湖から車で3時間の道。旅の足は鉄道と決めているが、今回は真夜中の海岸沿いをさまようため、車の旅になった。
  ホタルイカは3月 から5月が産卵期を迎え、富山湾では浅瀬をもとめて湾に浮かびあがり、砂浜に打ち上げられる。これをホタルイカの身投げといっている。その際、海中で発光 し、海を蛍光色に染めるさまは富山の春から初夏の風物詩になっている。今年の新月は4月10日、5月5日前後のゴールデンウイークに重なり、にぎわいが予 想されるが、桜の花びらが舞う4月は、まだ渋滞に苦しむほどの人出ではない。
  金沢を過ぎて1時 間で富山である。JR富山からは高山本線が高山までのびている。昔、昔の大晦日、大阪から夜行にのり、富山で降りて駅前でソバを食べ、その足で高山線に乗 り換え、眠ってしまい、肩が冷えて目を覚ますと、窓の外は一面の雪景色になっていた。結局、電車で正月、京都へ戻ってそのまま寝正月になった、行く当ての ない旅の思い出が富山にある。
  富山市内 を流れる神通川は高山を水源にし、富山平野を経て湾に注ぐが、1910年ごろから1970年前半にかけて流域住民の間で奇病が発生し、発生から60年後、 三井金属鉱山神岡精錬所の排水によるカドミュム汚染の因果関係がしだいに明らかになっていく。地元開業医の萩野昇医師が「イタイタイ病」として新聞に発 表、一部学者はビタミンD不足説を主張し、学界で論議を呼ぶも、カドミュム汚染の実態を厚生省も認め、訴訟においても国、企業の責任が断罪された。あれか らほぼ40年が過ぎた。
  風評に苦しんだ神 通川の注ぐ富山湾は北陸を代表する海と漁港を取り戻し、富山は住みたい県の上位にランクされるまでになった。滑川、魚津の海を眺めながら黒部に向かう途 中、水俣神通川流域、四日市阿賀野川流域の公害は地域医療の担い手である地元大学、医師により告発されたことを思い浮かべる。70年代の日本は大学紛 争、公害、そして高度成長がぶつかり合った。地域医療の医師たちがたちあがり、あるものは大学紛争に合流した。私の社会部時代、京都大学の公衆衛生学教室 の学生は闘争に参加し、一方で後遺症に苦しむ森永粉ミルク(ヒ素混入)中毒の患者救済に取り組んでいた。学生たちから患者リストを取材、訪ねた記事を書い た。地域医療という言葉がこれほどわかりやすい時代はなかった。しかし、地域は興味本位になる若い新聞記者の目を許さなかった。
  黒部市内 にはいった。黒部といえばダムと山を連想するが、黒部海岸は富山湾きっての夕日の名所である。「黒部の太陽」が海に落ちる風景は海をオレンジに染め、振り 返れば立山連峰を赤く染める。富山湾は水深2000㍍深く、寒流と暖流が流れ込み、日本有数の漁場になっている。ブリ漁が終わり、この季節はホタルイカの 旬になる。ホタルイカは春に生まれ、翌春に産卵して1年で生命を閉じる短い命だ。
     * (NAVER より)
  漁そのものは産卵を終えて沖に戻るイカ目当ての網漁になるが、波止場と沿岸のホタルイカは漁業権はなく、誰もがタモ網ですくいとることが可能だ。私はあの口 にしてヌルットとくる味わいを好物にしているため、とれとれを生で食べく釣具店でタモを買い、主人から時間や方法を聞く。「生はやめたほうがいい。熱を通 さないと、寄生虫にやられる」と、注意を受けた。旋尾線虫という寄生虫が生だと体の中をあばれるそうだ。食べるなら専門の店を紹介された。内臓を取り除く か、氷点下30度以下で時間を置けば虫は死ぬという。
  この寄生虫の存在は70年代に秋田で発見されるが、症例は少なく、私も生で食べた記憶がある。5年前、新聞やTVで寄生虫の存在が指摘され、厚生省が生注意 のおふれを出していらい、小売店でおめにかかれなくなった。調査では寄生虫がいる率7%といわれ、食べれば虫が暴れ、苦しむわけではないが、話を聞くと、 腰がひける。森繁久彌がその昔、サバの刺身で病院に担ぎ込まれた記事を読んだことがある。とにかく寄生虫の痛みはすごいらしい。
  「身 投げ(海岸に打ち上げられる)は月のでない、波静かな夜がいい。今日はどうかな。ちょろちょろならみられるかも。観覧船も出ている」という。深夜まで車で 寝て待つしかない。生地(いくじ)から西へ戻り、神通川河口の滑川へ移動する。ここのホタルイカ富山湾のブランドであり、地元は鼻高い。兵庫などの他産 地と比較すると、丸みをおび肥えているというが、並べて比較したことがないので、あくまで地元説明の受け売りになる。
  ホタルイカは春になると沖合から次第に湾内に近づき、産卵して沖に戻るさい、命がつきる。兵庫は沖合いの網漁、富山湾は海岸近くの違いがあり、この距離の差 が大きさに関係するのかもしれないが、真偽のほどは定かでない。明治38年、ホタル研究の東京帝大教授渡瀬庄三郎がホタルの発光メカニズムにちなみ名づけ 親になった。渡瀬は米国に留学して生物学研究して帰国後、東京帝大で教鞭をとった。沖縄のハブ退治にマングースを持ち込み、学界で物議をかもした。日本哺 乳類学会初代会頭を務めた。
  発光器は一対の足の先に3個ずつあり、全体で千個にのぼり、普段は黒い点にみえるのが発光器である。外敵への威嚇から身を守るため発光するといわれ、海岸に 打ち寄せられると光を発している。産卵のため集まるホタルイカは当然ながらメス。オスは秋から冬に次世代の種をメスに託して命を終え、メスは半年、生を永 らえ、オスのあとを追う。新月の夜に身投げ説は、光り失い、方向がわからず打ち上げられるとの見方が通説になるが、深海生息のホタルイカが光を求めて動くことは疑問だ。
     *
  新月の夜に打ち寄せられ、青い光を発するホタルイカの生態はミステリーにつきる。ただ砂浜のホタルイカは砂をかみ、食用には向いていない。なにはともあれ、 新鮮なホタルイカをいただくことにした。どの食堂もホタルイカの看板をあげている。ホタルイカは値段も手ごろな旬の味なのがいい。
  ホタルイカ料理の定番はネギとの味噌和え。これはうまい。刺身もでてきた。内臓をとってある。店にすれば7%の確率であっても、虫のいどころが悪ければ、店をつぶしかねない。しかし、リスクを越えたプリプリ味は、旬そのものである。旬の味では私は最高ランクあげる。
  ホタルイカが姿を見せる夜までは時間がある。富山市内 に引き返して車を預け、いまや富山名物になったライトレール(低床路面電車)に乗った。富山のライトレールはヨーロッパの低床式を取り入れた日本における 先駆的試みで、11の賞を得て地方自治体が研究するきっかけになった。2004年導入して10年を経過、運営は軌道にのっている。「とれねこ」のマスコッ トキャラクターを採用して猫好きの人気になった。距離にして8キロの運行区間であるが、富山駅北から港までの沿線は市民の足にふさわしい。富山は自家用車 所有率全国2位の車県ながら、環境にやさしい鉄道は市民に溶け込んできた。窓は大きくのりここちは満点だ。
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  富山で忘れてならないのが売薬。富山は加賀前田藩の分藩10万石の城下で栄え、2代藩主利次の代になり、製薬販売の産業化に成功した。「越中反魂丹」は富山 の置き薬として現代に引き継がれている。16世紀から薬種商の存在が文献に出てくるが、江戸城で大名が腹痛をもよおし、富山藩主が持参の反魂丹を与え、回 復したことから評判を呼び、各地の大名に広がった。店舗販売でなく訪問販売して薬を置き、代金は後払い方式の「先用後利」の商いが全国展開の理由になった。
  売薬では奈良(陀羅尼助)、近江の(日野売薬)、佐賀の(唐人膏)などが知られるが、企業形態を整えた富山は他地域の追随を許さなかった。
  車に戻り、仮眠して夜の沿岸を走った。夜明け前の3時から4時がホタルイカの発光時間帯というが、網を手にした地元住民、観光客が海岸や埠頭にたむろしている。タモで掬うなら、港周辺か、海岸に足をつけて上がってくるホタルイカ待ちしかない。当方は、土産は別口にしたので、光りさえ見えるならばそれで十分で ある。午前4時すぎ、人の列が動いた。ついていくと、波うち際で青い光に出会った。パラパラのため、とても写真のような輝きにほど遠いが、ホタルイカの 「身投げ」に遭遇した。神秘の光を脳裡に刻み、夜明けの国道をとばした。
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  ☆メモ ホタルイカ観望船は滑川から深夜、出港している。沖合の定置網漁も見物できる。事前申し込み必要。乗船時間午前3時。船料5千円。電話076−475−0100。ホタルイカ料理は一品500円前後から。見物船券付の宿泊プランもある。 

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