第107回 サクラ前線に乗って関西本線をゆく

  〜大阪―奈良―名古屋を結ぶ歴史の鉄路〜
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  関西以外のひとにはほとんどなじみがないのが大阪―亀山―名古屋を結ぶ関西本線である。鉄道フアンが沿線の歴史と風景に魅せられ、通い詰めるローカル線だ。日本の東西をつなぐJR東海道線名神高速は京都を通るために直線をずれ、名古屋から北へ向かい、関ヶ原を通過するため、冬の雪に悩まされる。名古屋ー大阪間は伊勢湾岸から四日市伊賀上野経由がもっとも近い。
      
  関西本線は距離にすれば最短ながら時間にすれば東海道近鉄双方から大きく遅れをとっている。ところが明治時代、前身は民営関西鉄道として創業、国営東海 道線と競い合った鉄道史に残る歴史を知る人は少ない。国有化までの7年の私鉄時代は運賃、サービスで官営東海道線しのぎ、日本の鉄道史の1ページを飾る名 門鉄道だった。
  江戸へ向かう旧東海道は逢坂山を越え、大津を経て瀬田川を渡ると、やがて草津宿にはいる。ここから湖岸沿いの道が中山道になり、東海道鈴鹿への道になる。現代は草津から国道1号線が旧東海道沿いに延び、国道とほぼ並行してJR草津線が柘植(つげ)駅と結んでいる。関西鉄道は官営東海道線からはずれた滋賀、三重の地域と東海道を結ぶ目的で設立された。東海道線の補充のはずの私鉄が大阪進出、官営に勝負を挑むなど誰も考えなかった。草津線関西鉄道の始まりになった。
  草津線の開通は1889年(明治22)。官営東海道連絡線の役目をになった。ところが11年後の1900年、大阪と名古屋間に関西本線が開通し、草津線の性 格は大きく変わる。終点の柘植駅からは、関西本線が合流し、亀山―名古屋、伊賀上野―奈良―大阪方面の総延長1067キロ区間が脚光をあびた。
     
  草津線の乗客は官営東海道線に乗るための乗客が大半であったが、関西本線開通で柘植へ向かい三重、伊勢、名古屋方面に行く乗客が増え、草津線は繁盛した。草津線の橋梁には関西鉄道のネーム板が埋め込まれ、100年前の往時をいまに伝えている。
  草津線を紹介する。草津駅から三重県の柘植まで11駅がある。甲賀忍者伊賀忍者の隠れ里が周辺に広がり、標高は243㍍の山間だ。草津から40分で柘植(つげ)駅に着いた。柘植は三重県で最初に開業した駅。ホームの片隅には明治23年に建てたレンガ造りの倉庫があった。
  関西本線は1970年代まで全線を直通の列車が運転され、SLが勾配区間をゆっくり、ゆっくりと走った。かつて東海道線と名古屋までの覇を争った歴史は長い間、語り草になってきた。
  大 阪―名古屋間、開通当初は官営東海道が6時間強、これに対して関西鉄道は6時間を切り、以来、双方とも激しいスピード競争を展開した。運賃、サービスの競 争は熾烈で、食うか食われるかの社運をかけていた。関西鉄道の社長は「潰れるなら、官営も道連れにしてやる」と、豪語して、半ばやけくそに近い。往復運賃 は当初、官営2円30銭に対して関西2円。官営が下げると、関西も下げ、ついには往復運賃が片道運賃とほぼ同じという値下げになり、さらに弁当のサービス がついたから客は集る。官営を凌駕する鉄道が大阪−名古屋を往復した。おまけに1日往復は無料の急行を走らせた。
  なにごとも官優勢の時代にあっての関西の気骨は鉄道の技術、サービスを開拓して官営をあわてさせた。
     
  わずか10年足らずの民営鉄道であったが、食堂車、駅の観光案内など、その遺産は日本全国におよんでいる。後発の近鉄が伊勢・志摩間に新車両、サービスで話題になり、阪急、阪神近鉄が旧国鉄に対抗したのも、関西鉄道の存在があったればこそでだった。
  関西本線の名阪直通は姿を消している。本線の運転系統は柘植から3駅名古屋寄りの亀山、柘植から12駅奈良寄りの加茂駅を境に分割されている。現在のダイヤは1時間に1本割合で加茂―亀山間を運行している。加茂から西、亀山から東はいずれも都市近郊線になり、JR西日本、東海の管轄になった。
管轄になった。
  関西本線の歴史は亀山―加茂間の非電化区間に息づいている。柘植から亀山までキハ120形(2両編成)の気動車に乗った。加太―柘植間は加太越えという25 ㌫の急勾配があり、加太トンネルなど創業時をしのぶことができる沿線だ。キハは気動車のキ、ハはイロハのハである。これは列車の等級でイは一等、ロは2 等、ハは3等。つまり3等車両を意味する記号である。
     
  亀山では四日市―桑名―名古屋方面の関西本線紀伊半島を回る紀勢線が別れる。柘植へ引き返す時間待ちを利用して名物「駅弁しぐれ茶漬け」を駅前の弁当屋で 買い込む。850円。これに持ち帰りのお茶代が100円。亀山から加茂まで1時間20分のキハの旅である。車中でお茶漬け弁当を開いた。ご飯にハマグリの しぐれ煮がのせてあり、のりと紅しょうをまぶしてある。半分はそのまま、残りは茶をかけるのが、食べ方らしい。辛いので茶漬けはいける。「幻の駅弁」がう りだ。確かに茶漬け駅弁はここだけだろう。関西鉄道から引き継ぐアイデアが沿線にも生きていた。
  柘植から3駅目が伊賀上野。築城の名手で名高い藤堂高虎大阪夏の陣7年前、高さ28㍍の石垣を積み、豊臣方の反撃に備えたが、大阪の陣で豊臣滅亡のため、 未完に終わった要塞である。地図を広げると、よくわかるが、伊賀上野は大阪と静岡を結ぶほぼ一直線上にある。秀吉は大阪城天守閣から東を、家康は駿府城か ら西をにらんだ。秀吉は筒井定次に、大阪城の出城として守りを重視し、家康に備え、家康は大阪城を攻める攻撃拠点に位置づけた。高虎は「秘蔵の国の要塞」 と呼んだ。家康は高虎に敗走のさいは、伊賀上野にこもり、秀忠が彦根で防ぐ用意周到な作戦で築城を命じている。
     
  家康は本能寺変後、窮地に陥り、堺から河内、大和路を経て木津川から伊賀越えで三河へかろうじて戻った。光秀挙兵にいったんは京で死を覚悟の一戦を交え、知 恩院で自刃も考えた家康だった。この時の経験が大阪城攻略にあたり、攻めと逃げの戦略に生かされた。家康を助けた伊賀忍者は重宝され、高虎の上野城下にも 忍町という珍しい町が残っている。伊賀者が重臣・中級家臣に交じり、住んでいた。伊賀忍者は古代から奈良、京への道筋にあったため、略奪にあい、自衛の諜 報や謀略活動が発達した。これに山岳兵法、武術を用い、奇襲、ゲリラ戦を得意にした。伊賀の地侍は忍びの道を確立するが、城下の忍住いは高虎の耳目を担 い、家臣も監視する狙いがあった。
  本線JR駅は城の北に位置し、上野城には近鉄伊賀線上野市駅が近い。これは関西本線の鉄道敷設に地元住民が反対し、城下北を通ったためである。後発の伊賀線は住民が賛成に回り、南の駅ができた。
  城下の西の鍵屋ノ辻は伊賀越え仇討ちの舞台で、荒木又右衛門が義弟の渡辺数馬を助け、河合又五郎を討たせた。又五郎を待ち受けた茶店は数馬茶屋として再建されている。上野を代表する俳人芭蕉は城東の赤坂町に生まれた。帰郷した芭蕉の句の中で印象深いのがこの句―
  ふるさとや臍の緒に泣く年の暮
  44 歳の暮れ、実家で兄から見せられた臍の緒を手にした芭蕉。亡き父母、兄弟の絆、ぬくもりに落涙する芭蕉と、あえて俗を拒否した旅の芭蕉がこの句から浮か ぶ。上野の芭蕉句碑は41にのぼる。伊賀上野を出て島ケ原トンネル。ここは三重と京都府の境、伊賀と山城の国境である。車窓から木津川の渓谷が見える。木 津川は伊賀山地を源流に、名張川などと合流して山城地方を経て淀川にはいる。古代の水運が奈良と伊賀をつないでいた。次は梅林の月ヶ瀬、大河原のふたつの トンネルをくぐり、笠置に着く。
     
  笠置は日本サクラ100選にはいる名所だ。京都では嵐山、御室、醍醐寺とともに選ばれている。いわば桜の穴場といってもいい。駅周辺には山、川沿いに3千本 の桜が植えられ、関西線は枝すれすれに桜のトンネルをくぐる。とくに4月の桜の散るころ、列車で通る眺めは圧巻である。
  関西本線は加茂から電車区間で木津を過ぎると、都市近郊線になりハイカラな装いで奈良へ向かう。奈良駅は中心部からはずれ、乗降客は近鉄におさえられている。ただ駅舎は寺をイメージした建築のため、建て替えのたびに論議を呼び、奈良駅の面目を保っている。
  奈良駅に続いて王寺駅。この区間法隆寺があるが1・5キロ北のため、車窓風景にはならない。大和川を渡り、河内堅上駅。ホームに桜並木が続いている。10数本はあるだろうか。関西本線では笠置とここが桜の名所駅だ。
  大阪天王寺まで亀山から2時間半。名古屋―亀山間をいれると4時間足らず。かつての関西鉄道のSL5時間強を考えると、いかに明治の鉄道技術が高かったかが わかる。この関西本線ルートはリニアルートに近い。京都をはずした最短距離の路線だ。リニア時代に関西本線が相変わらず、のんびり走りながら、これでも明 治の最先端路線と、リニアに語りかけてほしいものだ。
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  ★メモ★ 
  全国の桜の駅を筆者の独断で選ぶなら西は佐賀県伊万里市松浦鉄道浦ノ崎駅。昭和5年、駅開業記念の植樹50本余の桜がレ−ルを挟んで並ぶ。3月末に桜まつり。東は御殿場線山北駅並木。掘割の堤500㍍に130本の桜が並び、御殿場線はその下をかいくぐる。3月26日から4月7日までライトアップ。新幹線開通の北陸では能登鉄道鹿島駅。ここの桜はホームの桜が電車すれすれまで枝をのばしている。ホーム端から端まで桜の駅。新しい駅ではJR神戸線さくら夙川駅。駅に桜はないが、桜の名所夙川が西200㍍流れるところから名がついた。2007年開業。このほか駅と学校には桜がつきものであったが、都市化の駅から姿を消し、いまはローカル駅が名所。
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