第57回 松本清張を歩く その1 旅の風景

  雨時は、しかたなく本の整理をする日が多くなった。むろん、進んでするわけではない。
  「風呂屋の大桶」こと、猫も含めて衆目の一致する妻の業務命令だから、拒否できない。風呂屋の大桶とは、「湯(言う)ばかり」が落ちだ。
  文庫本の中に清張シリーズがどっさりあり、拾い読みしているうち、気付くのは書き出しの巧みさである。それも初期の頃の作品に力がこもっている。森鴎外に傾倒した作者であるから、実にシンプルで飾りがない。その書き出しに惹かれて、『点と線』、『ゼロの焦点』、『砂の器』と、短編の『啾啾吟』『或る「小倉日記」伝』を並べ、読みだした。九州ゆかりの清張だけに九州を舞台にした作品は多い。清張は経歴よれば、小倉生まれになっているが、清張が新聞社のインタビューで「届けは小倉でも、生まれたのは広島の旅先」と、明かしている。妻は佐賀の人だ。『啾啾吟』は幕末の鍋島藩が舞台である。
  芥川賞受賞の「或る小倉日記伝」では森鴎外の日記を探し求めて主人公が久留米を経て柳河にでかけるが、柳川ではなく柳河としたところが清張らしい。清張は小説の舞台はあくまで小説の風景であって現実の地とは別という考えから、書いている。しかし、読者はフィクションと現実を混同し、小説の舞台であるはずの地が観光ブームになり、社会現象さえ引き起こした。
  推理小説の面白さと旅の楽しさを加えた「点と線」は、清張が流行作家になる前、雑誌「旅」に連載した。編集長だった戸塚文子さんは「原稿料のことから有名作家でなく、新人で前途有望な作家に依頼していた」から、芥川賞受賞の清張はまさに「これから」の作家であった。
  東京駅での偶然の出会いから舞台が博多へ移る導入部は小説の刑事たちと同様に読者もふたつの場面が重要な役割を果たしていることを読みながら気付いても、東京駅で「あさかぜ」に乗る男女を目撃する4分間の偶然の出会いの15番線ホーム風景と博多とのつながりは容易に解き明かせない。
  (横須賀線は13番線ホームから出る。時計は18時前を指していた。安田はホームに立って東側の隣のホームを見ていた。これは14番線と15番線で、遠距離列車の発着ホームだった。つまり間の13番線も14番線も、邪魔な列車がはいっていないので、このホームから15番線が見通せたのであった。)
  昭和30年代の寝台特急「あさかぜ」は東京―博多間を17時間25分で結ぶブルーレインである。当時の学生が旅行や帰省に利用するのはぜいたくだった。寝台車と食堂車のある汽車の旅はあこがれで、37年に上京した私も京都へ帰るのは夜行鈍行か急行が常である。新幹線は工事中の時代である。
  東京駅で偶然に目撃された男女が死体で発見されるのが、博多・香椎海岸である。
  (鹿児島本線で門司から行くと、博多に着く三つ手前に香椎という小さな駅がある。この駅をおりて山の方へ行くと、もとの官幣大社香椎宮、海の方へ行くと、博多湾を見渡す海岸にでる。
  前面には「海の中道」が帯のように伸びて、その端に志賀島の山が海に浮かび、その左の方には残(のこ)島(しま)がかすむ眺望のきれいなところである
          
  残島はいうまでもなく、能古島の言い換えである。いま、全国の都市で大きく変貌しているのは東京と博多だろうか。10年前の博多と現在では目を疑う。昭和30年台はまだ地方都市にすぎなかったが、40年後の博多は国際都市だ。
  どんどん変わる博多にあって香椎は博多の古代を残している。仲哀天皇神功皇后を祭神に祀る香椎宮は古代、海に面していて、海の玄関だった。古事記や伝説によれば神功皇后がここから新羅出兵した地である。隣国とはいえ、距離にすれば大和よりもプサンの港が近い、いわば国際港。古代史に造詣が深い清張が事件現場に選んだ理由もうなずける。
  事件は役人と仲居の心中に見せかけた殺人事件として警察が捜査、アリバイのトリックを崩すため、北海道、青森へ飛び、鎌倉が事件の終焉の地になる。犯人夫婦の時刻表を活用したアリバイ工作は、その後の推理小説に影響を与えた。
  『点と線』は雑誌連載中の昭和32年時、さほど評判になっていない。翌年、単行本で出版され、爆発的に売れた。
  清張は犯罪の動機に光をあて、人間の内面を描く社会派推理小説作家で登場したが、この「点と線」はアリバイのトリックの方が注目された。
  動機が事件解明の鍵をにぎり、犯人の光と影、隠された過去が暴かれていく構成は『ゼロの焦点』『砂の器』である。
  夫や妻の突然の失踪は推理小説の題材になって久しいが、『ゼロの焦点』も新婚1週間で夫が失踪する。妻が金沢、能登に訪ね、夫の過去と、金沢の名士の妻の戦後の影がからみあう殺人事件に遭遇する。
  この作品は昭和33年、最初、雑誌・太陽に『虚線』で連載されるが、休刊のため2回で中断、雑誌・宝石に改題して3年もの長期連載になった。新婚旅行から帰り、東京転勤の決まった夫は勤務先の金沢へ整理のため出かけるが、そのまま消息を絶った。貞子は夜行列車で東京から金沢へ向かう。
  (直江津を発車したのは朝の暗い中だった。青いブランドをあげて覗くと、窓にまばらな遠灯が凍りついていた。曇ったガラスの中を、その灯はゆっくりと動いていた)
  憧れの北国の風景を前にした貞子の「この先、なにが待ち受けるのか」という不安は、読者を引き込み、車窓の人にする。決して名文ではない。しかし、読者もまた、金沢へ気持ちを急がせる描写である。
  舞台は人間の内面に潜む衝動の塊にふさわしい場所でなくてはいけない。その風景が塊を溶かし、また砕き、犯罪や行動を誘発する。旅ものの推理小説の定番である。清張作品はその走りともいえた。
  主人公貞子は金沢で夫が別人になり、家庭を持っていた過去を知り、さらに勤め先の広告代理店の有力スポンサーの窯元の妻と失踪した夫との関係に疑問を持つ。夫と暮らしていた女性が殺され、さらに能登の断崖下で発見された死体が実は偽名の夫であったことがわかり、殺人の動機が焦点になる。窯元妻の過去。戦後、混乱の時代に生きるため、客をとった女性が名士の妻になり、再会したのが貞子の夫だった。警察の調書なら発覚を恐れた窯元妻が口封じの殺人、自殺にみせかけた偽装工作となるが、清張は金沢、能登の風景に殺人を犯す女性の過去の風景を重ねていく。つながりのないはずの風景が貞子の夫によって繋がれ、殺人に発展する。
  終焉は能登の断崖。清張はこの場所を羽咋近くの能登高浜にしているが、こんな地名は能登にはない。あえていえば、能登金剛が現場になる。清張の旅の風景は、実在する景色とフィクションの景色が混在し、ここから先は清張の世界と断りもないから、読者はいつしか小説中の旅の人になり、犯人に寄り添うように描かれる風景に身を置き、能登の断崖に立つ。
          
  (閉ざされた雲の中に陽が沈みかけ、荒涼とした海にわずかに色彩を投げかけていた。断崖に立つと、寒い風が正面から吹き付けて貞子の顔をたたいた。髪は乱れたが彼女はそのままにして海と向かいあっていた)
  ラストは貞子と窯元主人が海へ死の旅たちした窯元妻を見送る場面が描かれるが、荒海の日本海であのような情景が断崖から見ることができるかは疑問である。清張描くイメージのラストシーンであっても、読者は能登の旅人になって断崖に立った。観光名所にもなった。その後、ここから身投げした女性は多い。能登金剛には地元から頼まれた清張の歌碑があり、死を急ぐ女性をひきとめている。
  作家宮部みゆきは「ゼロの焦点能登、北陸を背景にしたからこそ生まれた傑作」と、ここを旅した感想を書いている。
  清張の作品は数多く映画、TVドラマになっている。その中で原作を超えた秀作として評価を得たのが、野村芳太郎監督の『砂の器』である。清張をして「原作にない映画でしかできない四季の移り変わり」とまでいわしめたハンセン病の父と少年時代の主人公が遍路巡礼の風景は美しかった。
  事件は刑事が犯行現場近くで聞き込んだズーズー弁から東北へ飛ぶが、言葉の壁は厚く、捜査は難航する。やがて出雲弁のアクセントが東北弁と類似していたことがわかり、被害者の残した『亀嵩』は中国山脈の北の出雲奥地とつきとめ、刑事の追及が始まる。
  (米子から西の方向に向かって宍道という駅がある。そこから視線で木次線というのが中国山脈の方向に走っているのだが、亀嵩宍道から数えて10番目の駅)
  刑事今西栄太郎は東京発の急行「出雲」で21時間かけて着いた。この「出雲」は懐かしい夜行である。東京22時半発、学生時代に鈍行とともに利用した。もともとは京阪神と山陰を結ぶ足であったが、61年にそれまでの大阪経由から京都で山陰線経由になり、東京と山陰を結ぶ列車として利用客も増加、72年には特急に昇格した。私の新聞記者時代には京都駅で深夜到着、機関車DD51形からEF65形に交代するシーンがマニアの人気になり、取材したことがある。1番線ホームで機関車が客車に連結されるあの「ガシャン」という快音はいまも耳にこびりついている。
          
  作家西村京太郎のトラベルミステリーでは「出雲」がたびたび舞台になるが、推理小説で最初に登場したのが清張作品である。
  亀嵩はいうまでもなく実在の駅だ。作品では宍道から10番目になっているが、読売新聞に連載が始まった後、南宍道、南大東の両駅が開通して現在は12番目である。遍路巡礼で通りかかる親子の姿を山里に想像するだけで胸があつくなる。今西刑事が地元民から聞く親子の姿。東京で殺される交番巡査が親身になって世話する回想描写は、フィクションの世界の話であることを忘れさせる。
  特にハンセン病の誤った偏見から父親と引き離され、巡査に引き取られた少年が巡査に無断で村を去る話は、何度読み返しても胸を射抜く。幼い子どもが父親に会いたいため、中国山地をさまよう姿は、この小説の原風景にほかならない。
  過酷な運命を背負った主人公和賀英良は音楽家になり、注目されためにかつて世話した巡査の目にとまり、過去を消すべく殺人を犯す。ラストの羽田で逮捕された和賀は人前から消えた。
  「お見送りのみなさんにお知らせします。和賀英良さまはご搭乗されません」と、アナウンスで終わる最後の2行も清張ならではのラストである。
  清張は美しい文章よりも真実の文字を書きたい。口癖だった。「その1旅の風景」に続いて、その2では、真実の言葉が鋭いメスになって暴く「政治の風景」をとりあげたい。