第46回 トンネルをくぐれば清滝・山峡の宿

  〜旧制三高生が下駄音響かせた青春の鼓動〜

  桜の季節が終わり、さぁどこへ行くか。新緑を求めて清滝を選んだ。京は緑の名所に事欠かない。散りゆく桜のあとは萌える山里だ。清滝といえば紅葉というのが観光ガイドの定番になるが、新緑の頃がいい。人出も少ない。与謝野晶子は歌に詠んだ。

  ほととぎす 嵯峨へは一里 京へ三里 水の清滝 夜のあけやすき

  「乱れ髪」に収録のこの歌は明治34年7月の『明星』に掲載された。晶子は、23歳。この年、晶子は堺の実家から出奔、鉄幹の元に走っている。歌は少女時代に母に連れられ、泊まったさいの情景を思い起こして詠んだ歌のようである。作は5月頃、場所は東京。鉄幹には妻と生まれたばかりの子どもがいたが、離婚し、二人はこの年の秋に結婚した。

  なぜ5月の清滝を選んだのかという疑問が湧くが、鉄幹と過ごす5月の『夜のあけやすき』が晶子の気持ちを代弁している。情熱の人、晶子にぴったりで、意味ありげである。

  清滝には嵯峨野トロッコ鉄道保津峡駅から歩くコースもいいが、化野念仏寺からのそぞろ歩きにした。清滝へはトンネルをくぐり抜けないと、行った気がしないという年輩者は多い。

  嵯峨野と清滝はトンネルで分かれている。明治時代にはまだトンネルはなく、峠越えをした。トンネルが出来たのは昭和4年である。嵐山から清滝まで単線の電車がひかれ、トンネルで結ばれた。それまでは、峠の向こうの隠れ里である。

  トンネルは「清滝遂道」。全長500。小説に出てくるトンネルはいつも波乱の予兆に富んでいる。横溝正史金田一耕助シリーズの舞台にはトンネルが登場するが、この清滝トンネルにも、さまざまな噂がある。トンネル上の地は刑場跡であったため、女の幽霊がでる。トンネルで女性を乗せたタクシーが目的地に着き、後ろをみると、誰もいない。シートがびっしょり濡れていたーなどだ。

   
   (清滝トンネルは、古き良き時代への旅のプロローグ)

  車一台が通るのがやっとのトンネル内はナトリュウム灯りがあるものの、昼間でも心細くなる。出口が見えると、ほっとする。清滝へのアプローチが、若者の心霊スポットになるはずだ。ただ大正生まれの旧三高生にはゲタ音立てて歩いたなつかしい青春の道である。
  清滝は愛宕山参りのコースで知られ、登山口にあたる麓の清滝川沿いに旅館、民家が固まっている。三高生は、寮のある吉田から片道4時間かけて清滝に清遊という名のハイキングに出かけた。

  彼らが食事、酒を飲み、騒いだのが川沿いの「ますや」である。木造二階建ての旅館は山峡の宿の風情に満ちている。ひなびた温泉地でも珍しい大正時代の木造建築。楓の木に囲まれ、二階の手すりの下は川の流れになっている。鮎、山菜料理の料理旅館として、穴場探しの観光客には人気がある。この「ますや」の玄関土間に「三高生逍遥の宿」の額がかかっている。創業は寛永年間で十三代続く宿だ。江戸時代は愛宕参りの茶屋であったが、明治になると三高開校とともに一般に交じり、学生客がお得意さんになる。

   
   (三高生逍遥の宿「ますや」は清滝川沿いに建つ木造料理慮旅館)

  以前、当主から昔話を聞いたことがある。

  「出世払いは当たり前でしたな。卒業までただの学生もいた。親父が帳面につけておき、卒業時にまとめて払うか、卒業後に払いにきました。たまに若い人が泊まりにくる。聞いてみると、祖父にいってこいと、いわれてきましたと。むろん、お土産も」

  帰りの電車賃がなくなり、払った食事代を返すのはよくある話。返してもらった電車賃でまた飲んでしまい、結局、歩いて帰る破目になった。夜道の帰路で彼らはいたるところで店の看板を移し変え、翌日、現場に忘れていった「ますや」の小田原提灯で足がつき、ますやの主人があやまりいった。

  三高ゆかりの作家も滞在した。田宮虎彦梶井基次郎織田作之助三好達治など名前をあげればきりがない。話は三高生が通う前、明治20年、熊本バンドのクリスチャンで同志社英語学校の生徒であった徳富蘆花が失恋の傷を癒すべく、ここ「ますや」に逗留して読書の日々を過ごしている。彼の小説「黒い瞳と茶色の目」には、清滝と「ますや」が描かれている。蘆花は明治31年から2年にわたり「不如帰」を新聞掲載、ブームを起こした。

  清滝には蘆花の石碑「自然と人生」が建つ。

  「学生たちの自由奔放なふるまいは、昭和16年を境に影を潜めていきます。いやな時代でした」

  戦後は同窓会会場になった。吉田神社宮司とますや主人は同窓会の特別ゲストで呼ばれた。寮歌大合唱になったのはいうまでもない。戦後65年経たいま、最後の卒業生たちは80歳後半にさしかかる。年齢とともに足は遠のく。かつてのようにどっと繰り出す機会もなくなった。


  
  (名のごとく清滝川は水清く、夏はホタルの名所になる)


  「それでも、ひょっこり、テレビ、新聞でみかける著名な財界人がお見えになります」部屋にぽつんと座り、ただ時間を過ごすだけの客。テレビで見る背筋をのばし、肩に力の込めた表情ではなく、すとんと肩を落としていた。川の流れ、部屋の柱、板廊下は、時間の経過を除けば、昔のままだ。あんなこと、こんなこと、部屋の幻の引き出しにある青春の日々に浸るかのような寡黙の姿が印象深かったという。

  あのトンネルをくぐる時、どこかに迷い込んでいきそうなおののきは、山峡の部屋に伝わる鼓動だった。破目をはずしても許された、やさしさとなつかしさの時代への旅のプロローグでもあった。