第45回 春がきた  渦潮におどる桜鯛

  春がきた。どこにきた。鳴門の渦にきた。
  お水取りが終わり、予想通りにぽかぽか陽気になった。桜の開花も早くなりそうで、瀬戸内はイカナゴ漁から鯛の季節を迎える。長崎・五島列島産の魚が一目置かれる京の錦でも、鯛だけは明石が別格であった。もともとは明石海峡と明石地先で水揚げの真鯛をさす呼称になっていたが、現在では紀伊水道から明石海峡周辺まで範囲は広がっている。流通、輸送方式の多様化で水揚げ港が即産地の定義はあやしくなっている。厳密には明石海峡に根つく鯛が明石鯛といい、これに対して鳴門の渦潮につく鯛は鳴門鯛としてそれぞれブランドになっている。

  

  「いまはのっこみ(産卵期)にはいり、脂がのっている。いわゆる桜鯛やな。養殖ものは日焼けして全体に赤黒くなるが、天然ものは、ピンク色の輝きがある」

  の立ち話がはずむ。料理の世界では、桜鯛は産卵期のため、味が落ち、桜の頃より、紅葉の頃が最高、ともいう。ただ春は産卵期で食いが良く、漁獲量も多いから旬の味覚にあたる。この鯛の中で珍重されるのが、骨にコブのある鯛だ。急な潮でもまれる鯛しかこのコブはない。回遊魚の鯛は小魚を追って太平洋から紀伊水道や豊後水 道を経て瀬戸内海へやってくるが、中には瀬付きという回遊しない鯛がいる。急潮の流れを泳ぎ、背骨から尾ビレに近い骨が肥大化して、骨がコブ状になっている。

  鳴門では「鳴門コブ」「力コブ」と呼んでおり、コブは瀬付き鯛の特徴であり、勲章といえるが、時にはこの鯛を買った消費者から行政に「背骨がおかしい奇形の鯛を買った。問題ないか」という問い合わせがある。ところが錦では「コブのある鯛がほしい」と、注文が相次ぐ。しかし、数にすれば、まれだ。身がしまり、仮に五十㌢強の形なら他の鯛に比べて重さが2割方違う。同じことが大分の関サバにもあてはまる。関崎と対岸の四国・佐田岬の間の速吸瀬戸は、関サバの漁場であるが、潮にもまれたサバはふっくらした形でなく、どちらかというと、アジに近い。食感もコリコリしている。

  サバは、鮮度勝負になるが、鯛は活け造りよりも、絞めてから時間をおいたほうがうまみがでる。いまは、水槽の発達で生きたまま京都へ運ばれるのが主流であるが、実は釣り上げられた鯛は浮き袋が膨らみ、生簀に入れても泳げない。このため、肛門に針を刺し、空気抜きして生簀に入れ、一晩、ふたをして暗い海の状態で静かに過ごさせる。体力回復させて出荷するが、これを活け越しと、呼んでいる。活け絞めというのは、血抜きとエラの下の神経を抜き、身が活かったまま、時間を置き、調理するのが板場料理だ。この前半の手間が味を左右し、明石鯛は、水揚げ後の保存技術もあいまって有名ブランドになった。淡白であって、甘みが残り、舌にからみつく味わいが、明石鯛といわれる由縁だ。

  かつては、浜で絞め、京都まで運ばれる時間がうまみを醸成した。現代でも浜絞めにこだわる料理人はいる。活けをさばいて、どのくらいの時間を置けばおいしいか、それが料理人のカンと知恵、腕である。

  京都から渦潮の鳴門へでかけた。

  

  渦潮の観潮は大潮の時が見頃である。流れが速く、渦も大きい。今年は3月中旬と下旬が大潮にぶつかる。淡路島の福良から観潮船に乗り込む。イカナゴの最盛期にぶつかり、港ではイカナゴが水揚げされ、おこぼれを狙うカモメの鳴き声が耳に心地よく響く。船が出港すると、カモメが航跡を追いかけてくる。さながら遠洋航海へ船出の気分である。

  渦は6時間ごとに起こる潮の干満によって生まれ、時速三〇㌔、大きさ三〇㍍の規模にもなる。海峡には漁船が錨をおろしている。鯛漁には定置網もあるが、一本釣りにはかなわない。

  「鯛釣りは、錨を打って、場所を固定して釣るヤマタテと渦流しがある。渦流しは技術と経験がなければできない。名人級の漁師はわずかしかいない」と、浜で聞いた。

  鳴門大橋をくぐる。潮が滝のような落差をつくり、音立てて引いていく。

  渦ができた。その渦の周りを漁船が巧みな舵取りで周回している。渦へ切り込んでいく構図だ。その渦の下で瀬付きの鯛が潮流れに身を躍らせているのだろう。撒きえにはイカナゴを使い、一本釣りするが、渦潮から色鮮やかな桜鯛が浮き上がる様は豪快、かつまばゆいばかりの美しさである。鯛の呼び方は地方によって異なるが、淡路ではチャリコ、カスゴ、メッコリと、成長するにつれて変わり、四〇㌢になって鯛と呼ぶ。漁連によると、「大きいのは活け、小さいと、絞めて出荷する。地元で食べるのは、上がり目という死んだもの。値も半値。なんせ、高級魚やからな」と、いう。大きさでは二㌔前後は料理屋向きのため価格が高い。家庭で食べるなら小ぶりで浜絞めの鯛が味も価格からもお勧めだ。

  鳴門には、お守りとして「鯛中鯛」がある。鯛の胸ビレから口にかけての骨の形が鯛本体の形に似ており、神経の通るところに穴があき、目のように見える。粋筋は財布や帯の中に入れ、お守りにした。他の魚はこわれやすく、骨のしっかりした鯛でないと、磨いて光沢を出すことはできない。

  船からあがると、イカナゴの船がどんどん入港してきた。一日四回の水揚げのため、休む間もない。鯛釣りがベテランの技術なら、こちらは若さがものをいう。船着場でイカナゴのセリにかかるが、関西はイカナゴを砂糖、醤油で煮詰め、くぎ煮にして食べる。くぎ煮というのは、ちょうど炊き上がったイカナゴがくぎの形になるからだ。春の風物詩として珍重され、これを食べないと、春がこない。浜の漁師は「鯛も大きくなったイカナゴを好物にしている。人も鯛もうまいもんは、よう知っている。浜では、イカナゴを釜揚げして、酒の肴にするが、そりゃうまい」と、目を細めた。