第41回 北野天満宮で露店めぐり  寅さんはどこに行った   

  師走を前に早くも正月のおせちのチラシが届く。デフレ宣言の世は、どこよりも安いが売りだ。3年前、豪華さを競った正月料理チラシも様変わりしている。肩たたく落ち葉に誘われて、京の町を歩いた。どこも車と人の混雑に、同じ人波なら、天神さんがいい、と、思いなおして、北野の天満宮に足を向けた。


北野天満宮

  今出川通に鳥居がある。行列ができているのは、名物粟餅の店「沢屋」。十三代続く老舗だ。先祖は河内の出で、嵯峨野に住み、ここで粟餅、ワラジを売っていた。この粟、昔なら北野あたりにもあったが、いまは、米以上の貴重品になり、四国の剣山近くや熊本の農家などに頼み、確保してきた。

  参道は露店でぎっしり、隙間がない。参道沿いが露店ランクの一等地である。タコ焼き、イカ焼き、綿菓子などが並ぶ。イカ焼きを買い込み、ほおばりながらおもちゃの店でおっちゃんをつかまえる。露店めぐりは、食べながらでないと、会話もはずまない。

  「あかん、あかん、不景気でさっぱりや」

  「おっちゃん、ここ長いの」

  「30年になるかな。昔との違いかいな、興行がなくなったのが一番やろな」

  興行とは仮設の出し物のことで、中の森にあった。秀吉の大茶会ゆかりの太閤井戸もここだ。出雲の阿国河原町に出る前、北野の森で興行したというから歌舞伎発祥の地である。おっちゃんが思い出をたぐり寄せる。

  「表で客寄せが、声を張り上げる。ごついイタチがとれた。6尺はあるぞ。俺もつられてはいると、イタチなんかおらん。おっさんがイタチ、イタチとさけんどる。客がイタチださんかいというと、この大きな板を持ってきて、いきなり自分の頭をたたきよる。血がでるわな。その板でまた頭をこすり、板にべっとり血、オオイタチと頭をかかえよった。痛かったやろうな。客はあきれて文句もいわん。こんな出し物では客ははいらんわ」

  社務所で聞くと、「雨に降られて、客もさっぱり。一座が次へ移動するトラック代もない。次の縁日まで一座が住みついた。家族持ちだから、境内にオシメを干して、森の中はオシメの満艦飾になった。こんなことが2回続き、興行を断った」というのが真相らしい。

  阿国いらいの伝統の地もオシメがために興行途絶えた。阿国に感想を聞いてみたいものだ。御前通は古物市。大阪、四国、北陸あたりの常連が店を開く。割り込みはトラブルを招く。場所には決まりがあり、素人が店を出すことは難しい仕組みになっているが、最近は外人の店がでるなど場所によってこの限りではない。

  古い地図を手にした客がかけあっている。

  「印刷ものとちがうか」

  「知らん。あんたの見たとおりや」

  店はいっさい、物の保証も勧めもしない。客が決める。値切りには応じるが、古物のやりとりに言葉は少ない。客の目しだいである。

  境内を回って気づくのは、映画寅さんでおなじみの口上がいないことだ。的屋家業。この世界では説明販売というのが正式な名。その昔、ここを仕切る元親分さんに聞いたことがある。がまの油売りは薬事法にひっかかり、当局の目も厳しい。バナナの叩き売りにしても、客を口上でひっぱっていく力量がいる。京都にはもう、口上で食べていけるもんはおらんという話だった。

  親分さんに「寅さんが現実の世界にいるとすれば、どんなかたちですか」

  「そうやな、映画の寅は全国を回っている。一匹狼ではあの調子で全国は回れん。子分のめんどう身のいい親分がいる一家の身内で、親分はそこそこの顔でないとあかん。その下にいる中堅クラスが車寅次郎やろ」


寅さん

  才覚があって、人の世話をできるものが、この世界の親分になれる。寅さんは、世話好きであっても、才覚となると、あやしいから、あのまま映画が続いても親分にはならずに生涯旅の人であっただろう。

  露店めぐりをきりあげて、お参りする。菅原道真が右大臣の地位から大宰府に左遷されたのは901年(延喜1)で、文人官僚として藤原氏一族が実権を握る大内裏で異例の出世するが、巻き返しにあい、逆心の汚名をきせられ、失脚する。903年、道真死去後、都では雷火の災害が相次ぎ、さらに道真追放後、権勢を手にした左大臣藤原時平が39歳で若死にし、道真の怨霊説が広がる。霊を鎮めるため、僧による祈祷が行われ、天神信仰が始まる。庶民の間に学問の神さんとして敬われるのは、ずっとあとで江戸時代になってから。読み書き、そろばんの普及がブームになった。平安朝は雅な、のどかな響きがあるが、桓武天皇の遷都以来、暗闘が絶えたことはない。天皇の座は兄弟の系統、いわゆる皇統が争いの種になり、そこへ藤原氏一族が介入する図式である。道真は、桓武天皇に登用された渡来系土師の系統の菅原4代目。身分も中の学者の家柄であって政治家ではない。ところが、宇多天皇に抜擢され、官位をのぼりつめる。妬みは頂点に達し、公卿のなかでも浮いていたから、天皇譲位後は藤原氏にとって足をすくうことはたやすかった。ただ道真が大宰府で寂しい思いはしたかもしれないが、怨霊になるほど悔しがったかどうか。やはり左遷した側の後ろめたさが怨霊を生み出したのだろう。合格祈願の受験生にとって道真は学問の神さまであって、道真怨霊などはるかなる昔話である。

=太宰府天満宮の公式サイト=

       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜