第34回 ワンニャン虹の旅

  我が家には3匹の猫がいる。外には犬の散歩同様にひもつきで連れて歩く。慣れると、犬に出会っても平気で、2匹はメィクーンの大型猫のため、小さな犬など3匹の威勢に押されて、怖がるほどだ。というわけで永世猫当番の身の日課は猫とともに始まり、終わる。トイレにしても、新しい砂の入れ替えを3匹が並んで待っており、古い砂は、臭くてやってられないと、取り替えるまで我慢しているから、最初に在住7年の親分格の白猫雄、人呼んで小太郎(生後3週間で拾われ、哺乳瓶で育てた)がおもむろにしゃがみ、空をにらんですませると、次はボン(雄2歳)、最後はベテイ(雌3歳)の順にトイレを使う。そのつど、砂を替えないと、顔を見て、にらみつける。1時間は猫のトイレに釘付けになるが、こちらももよおして、便器に座ると、済ませたばかりの猫がやってきて「やってるのう」と、顔を見上げている。ベテイなんかは、すましたばかりの自分の尻のあたりをなめて、「臭い」と顔をゆがめている。人間が臭いという顔にあまりに似ているので、ベテイの「いい顔」見たさに、朝はそばからはなれられない。小太郎が拾われてきたばかりの頃は柴犬がいた。犬の尻尾をくわえて遊んでいた。その姿が忘れれず、ワンニャン虹の旅を書くきっかけになった。チベット仏話をもとにした犬と猫の冒険の旅である。物語は例によって京都から始まる。

     
          エノキの穴はタイムトンネル

  京都五条大橋の南、鴨川と高瀬川に挟まれた一角にエノキ(ニレ科の大木)がそびえている。幹回りは5を超える。側に社があり、直径2の古木の根元が祀られ、古木の中は穴があいている。土地の言い伝えでは雷が大木に落ち、根元はおろか地中深く穴をあけているという。ここに白蛇が棲み、蛇を見て腰を抜かした話は土地の人なら誰もが知っている。人間ばかりか、周辺の犬、猫まで敬遠して近寄らない。このあたりは平安時代の頃、源(みなもと)融(とおる)の広大な屋敷があったところで、融は源氏物語光源氏のモデルの一人である。

  鴨川沿いの旧家の縁の下に三毛猫の母が住んでいた。茶店のおばさんから餌をもらい、ミケの名前を付けられていた。ミケはお腹が大きく、子どもを2匹産むのであるが、1匹は生後間もなく死に、1匹が生き残った。この猫の親子のところへ、子犬が紛れ込み、ミケは母乳を与え、犬、猫3匹の生活が始まった。ミケは茶店のおばさんの元へ2匹をつれだし、あいさつしたから、おばさんは犬にボン、猫にトラの名を付けた。ボンとトラは鴨川周辺を遊び場にして大きくなったある日、エノキの大木の根元に来ていた。

     

  「あの木のそばには近づいたらあかんよ。穴は底なし、白い蛇がいて中へひっぱりこむから」と、ミケはボンとトラに注意していたが、2匹は怖いもの見たさでのぞきこむ。社の中の古木穴は吸い込まれそうなほど深い。木登り得意のトラが爪を立て、飛び上がった途端、なにかの音。蛇が木から落ちてきて、鎌首を持ち上げ、にらんでいた。トラが足を踏み外して、穴へ落ちそうになり、助けようとしたボンもろとも穴の中を転がり落ちてしまった。

  どれだけ転がり落ちたかはわからない。真っ暗な洞窟に光が見えてきた。光は白い大蛇の目だった。エノキの蛇に似ている。

  「さあ、乗った、乗った」と、大蛇が誘う。2匹はためらうが、乗らないと、暗闇に取り残されてしまう。大蛇はくねりながら、急上昇するかと思えば、急降下して、そのつど、ボンとトラは悲鳴をあげた。明るくなったと思えば、暗くなり、また明るいところへ出ていく繰り返しのすえ、動かなくなった。

  「着いたぞ」

  「ここはどこかな」

  古い木のそばにお寺があった。扉を開けると、ギーと不気味な音がした。膝まではいる草の中は沼のようである。しばらく歩くと、老人が荒れた寺の縁先に腰を降ろしていた。「こっちへおいで。お主たちはどこから来た。ここは千年前の都だ。すっかり荒れてしまったが、ここの寺守をしている」

  「エノキの穴に落ちてしまったんです」

  「そうか、白い蛇がおられたであろうが」

  「大蛇に乗せられて、ここまで来てしまいました」

  猫のトラはもう泣き出していた。ボンは気丈にも老人の問いに受け答えしている。

  「そうか、そうか、わしがお前たちの親の元へ返してやろう。しかし、ひとつ、やってもらいたいことがある。あの山にのぼって、黄金の犬の姿を見てきたら、助けてやろう」

  「黄金の犬つて。そんな犬がいるわけがない」

  「もう何人もの人間が試みて失敗している。その犬は仏様のお使いでな。これから千年はおろか56億7千万年もしないと、この世に姿をお見せにならない仏様に仕えている。この犬に伝えてほしいのじゃ。もっと早く、仏さまが下界に降りて、荒れた世のなかを救っていただきたいのが、このじいのねがいじゃ。何度もお願いしているが、聞き届けてくださらない。そこでお主たちに使いをしてほしい」

  2匹は老人の頼みに驚くが、ミケ猫母の元へ帰りたい一心で、頼みを引き受けた。

  「いいか、あの山にいくまでは六道といって、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、そして天上がある。仏さまがおられるところだ。狼、狐はおろか魔物が道中に待ち構えている。天上の入り口の洞窟までなにがあっても、ひるんではいけない。しかし、優しい気持ちも忘れてはいかん。では頼んだぞ」

  老人の姿はきえた。見上げると、塔のような岩が雲の上にそびえ、その下は霧で覆われている。ボンとトラは山を上り始めた。トラは泣いてばかりで、ボンの尾をくわえ、着いていくのがやっとだ。

  谷へ来た。いままで明るかった空が真っ暗になり、地響きとともに地面が二つに割れ、火が噴出している。見たこともない妖怪が狼、狐、鳥を食べている。人間も悲鳴をあげて逃げている。

  「これが魔物のところか。あの吊り橋を渡ろう。いいか、走るぞ」

  2匹の犬と猫は揺れる橋から転げ落ちそうになりながら、橋を渡った。2匹の尾は妖怪に噛まれたのか、血だらけだ。

  「ボン兄ちゃん、怖い」

  「大丈夫や。黄金の犬にあわないと、おうちへは帰れんからな」

  山道は先ほどの地震で岩が崩れ、山の動物たちがうめいている。

  「トラ、目をつぶってここを通りぬけよう。ここでとまっていたら俺たちまで食べられる」

  助けを求める声を振り切って、やっと洞窟の前までたどり着いた。あたりはとても静かで小鳥の鳴き声も聞こえてくる。

  「ここが仏様のすむ天上だろうか。誰かが暮らしていた跡がある。トラ、黄金の犬に頼むのや」

  2匹は夜、昼なく、黄金の犬が姿を見せるよう頼むが、なんの変わりもない。雷が鳴り響くだけだ。5日過ぎても、だめだった。

  「あかん、山を降りないと、飢え死にしてしまう」

  「またあそこを通るの。いやだ」

  だだをこねるトラを叱り、言い聞かせて山を降りていく。目をつむり、耳を閉じて歩いた。やっと見覚えのある山ふもとまで戻ってきた。ああ、助かったと、思った時、1匹の犬が倒れているのに気付く。体はやせ細り、どこかで噛まれたらしく傷口から血が流れ、蛆虫が血をすすっている。

  「噛まれんようにしないと、死ぬぞ」と、ボンはトラに注意するが、トラはいままで苦しむ動物たちの姿を見てきたため、この犬を救ってやりたい気持ちになっていた。穴に落ちてからの旅が泣きべそトラの心に、を自分の身を守るだけではない苦しむ仲間へのいたわりを育んでいた。

  「ボン兄ちゃん、かわいそうや。蛆もわいて、くるしそうや」

  トラの足元は擦り切れ、血がにじんでいる。そこへ犬の蛆がはってくる。トラは気づかないのか、手で蛆をとろうとするが、うまくいかない。トラは犬の傷口に近づき、トラの血のついた尾をのせた。蛆を自分の尾に移動させるためだ。そのうち、トラは疲れで横になり、眠ってしまった。ボンは言葉を失ったように立ちつくすばかりである。蛆の大群がトラの体に乗り移ってきた。思わず、ボンがしりもちをついたそのとき、あたりは光り輝き、まぶしいばかりになった。ボンとトラの前に黄金の犬が立っていた。ほおに指をつくように微笑んでいる。

  「あなたちは、困った犬を助けました。自分が身代わりになってでも倒れた犬を救う気持ちは、これまで誰も持っていなかった。ある人間は、洞窟で1カ月も修行したあと、帰りに倒れた犬を見ながら、避けて山を下りた。あなたちは違った。立派にお使いを果たしました。仏様は必ず地上に行かれます。さあ、あの虹を渡って帰りなさい」

     

  崖と雲しかないいくつも山に美しい七色の虹がかかっている。西の方から夕日がさし、虹の橋を歩く2匹の姿を影絵のごとく浮かび上がらせる。ボンの後に、尾を加えたトラがおそるおそる続き、やがて虹の橋を駆け下りていった。

  「これ、おきんかいな」「あっ、おかあさん」

  2匹の犬と猫は昼ねしていて、夢を見たのだった。京都五条大橋そばには、伝説のエノキと、中をくりぬいたように穴のあいた古木の祠があり、白い蛇を見た話は夏の夜話にもなっている。