第32回  逢坂山の妖怪か仏か -- 絶世の美女の超高齢晩年の姿 --

  色んな旅もある中で、これほどロマンと怪奇・神秘にとんだ旅はないと、自負している。平安前期の歌人小野小町の晩年の姿を訪ねる旅である。36歌仙のひとりで知られる小野小町は、在原業平と和歌の贈答をしているが、紀貫之は歌風万葉の清純さと王朝浪漫あふれると、絶賛している。ただ出身地や境遇など彼女の足跡は歌を除いて伝説の域をでない。出身地にいたっては、九州(熊本・植木町、宮崎・小林)から東北秋田まで全国二十八府県におよぶ。絶世の美女としての伝説は、この歌がもとになっている。

     花の色は移りにけりないたずらに我が身世にふるながめせし間に

  年とともに衰えゆく姿をなげく歌から後世の人たちが美女伝説をつくりあげた。深草少将が袖にされ、小町のもとに100日通い、そのあげく雪降る日、命を落とした話など能、謡曲の題材になった。貴族らが小町にあてた手紙は千通にものぼるというから、男たちをとりこにした美女だったのだろう。現代なら銀幕から去った永遠の乙女原節子の近況を一目見たい心理に近いが、美貌とあわせて、どんなおばあさんになったか知りたい思いもある。怖いものみたさだ。ただ昔の人は、のぞき趣味にとどめず、すさまじいばかりの老いと煩悩を正面からとらえ、見守る慧眼を持っていた。

  100歳の小町を求めて京の町から山科へ向う。山科には小野の地名が残る。小野氏の栄えた土地で、真言宗善通寺派総本山の随心院は小町ゆかりの寺で知られ、遺品が伝わる。小町がこの寺で40年過ごしたという。謡曲卒塔婆小町の舞台の地である。寺には卒塔婆小町像や文塚がある。謡曲百番では「通小町」「卒塔婆小町」「関寺小町」「鸚鵡小町」の小町ものが歌われる。卒塔婆小町は高野山の僧が卒塔婆に腰掛けている老婆を注意したところ、逆にいいまかされ、小町と知る。小町は少将の霊にとりつかれていたが、僧との出会いをきっかけに静かな心を取り戻す話だ。いずれも美女伝説と、晩年の髑髏伝説に代表される、世をなげき、苦しむ姿が描かれる。

  関寺小町、鸚鵡小町の舞台は逢坂山である。老いた姿を人前にはさらしたくないという女性の心、しかしながら、いくつになっても美しくありたいと願い、時を忘れ過去の栄華に浸る小町物語だ。謡曲関寺小町では、100歳に近い小町は逢坂山の庵にわびしく暮らしていた。そこへ僧が稚児たちを連れてたずね、歌道の話を聞きにくるところから始まる。小町はもはや、昔のことゆえ断るが、せがまれ、語りだした。そのうち、今の姿を恥じる気持ちもなくなり、話はつきない。その夜、七夕の宴に誘われ、秋の夜半、いつしか舞に興じる小町であったが、老残をさらす朝を前に、杖をつき、去っていく。関寺は逢坂山の北東にあった平安期の古刹で、関寺の牛塔で名高い。現在は長安寺が跡地に建ち、牛塔(国重文)が往時をしのばせる。京都市内からなら国道1号線と161号線の分岐点に近い、京阪電車上栄町駅のそばにある。 ここから、歩いて10分ほどの逢坂山を京寄りに下ったところにあるのが小町像を安置する月心寺。NHKの朝ドラで野際陽子が尼さん役で料理を出したあの寺だ。

  安藤広重描く東海道53次の逢坂山の走井水の茶店のあったところで、大正期に画家橋本関雪の別荘になり、現在は尼寺としてばかりか、精進料理の寺として観光客が訪れる。

  京阪電車は、追分駅から山をゆっくり左カーブしながら上っていく。平日の午後の車内は、眠気を誘うのどかさに満ちていて、電車の揺れで目を開ける。京都市内の名所からはずれた大津市と京都の府県境、昔なら関所があった。山の駅大谷。細長く集落が延びている。下車は一人だけで、なんどか、これまで降りたことがあるのに、見知らぬ町へ来た思いがする。

  国道一号線をまたぐ陸橋から、のぞけば、車の列が続いている。

     これやこのゆくも かへるもわかれつつ しるもしらぬも 逢坂の関 蝉丸

  昔の人は、往来を見て栄枯盛衰、会者定離と、世の無情を感じた。逢坂山は都への出入り口にあったからだろう。都落ちて、再び戻ってこれるかどうか。やっと都に帰って来た。すれ違う人の心は季節でいえば、秋と春の違いがあった。いつまた会える旅路の人である。

  月心寺。庵の格子戸を開けた。庭は斜面に手入れ良く伸びた杉がうっそうと繁り、日差しは届かない。夕暮れ前に近い。木漏れ日が舞台の照明のごとく、石と苔をスポットをあてている。石段を上ると、「百歳堂」の名前の茅葺き茶室。案内もない中は、人の気配なく、うすくらい。茶室の奥に「小野小町百歳像」があった。逢坂山の妖怪か、小野小町の化身か。はたまた仏か。片膝たてたあばらむき出しの小町は、目が異様に光る。向かいあって腰をおろした。鸚鵡小町では100歳の小町が陽成天皇の歌を伝える使者に、鸚鵡返しで一字のみ替えて返歌する。能では切り裂くような笛の音で始まり、ドーンと響く太鼓の音が続き、小町登場する。100歳像も、関寺小町、鸚鵡小町ゆかりの像なのだろうが、経歴は謎の小町同様にいわれはわからない。

     
     斜面を生かした石組みと、水の調和が美しい月心寺庭園 <京都新聞から>

  小町伝説には、塚と名水があり、逢坂山は名水井戸の地、月心寺近くの蝉丸神社には小町塚もある。小町が百歳の姿になって現れる条件は整っていた。美女の末路の哀れさ、無常を語りかける像の小町。しかし、まったく一人の茶室で向き合う小町像は、哀れの気持ちを許さないすごみがある。あわれみは、無用と、迫ってくる。百歳になって、なお煩悩を秘めた小町像の方が自由、奔放な美女歌人にぴったりだ。涙はいらない。

  長い時間、座っていたような気がしたが、15分しかたっていなかった。石に濃い黄色の粉をまぶしたような苔がついていた。 寺の外は、青空。映画館から外へいきなり出た時と似たまぶしさに、くらっとした。

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【逢坂山 】

 小野小町 平安時代前期の歌人。生没年不詳。六歌仙三十六歌仙の一人。小町伝説を集めたのが謡曲。『草子洗小町』『通小町』『関寺小町』『鸚鵡小町』『雨乞小町』『清水小町』に『卒塔婆小町』の計7曲を七小町という。御伽草子の小町草子で在原業平と小町を観音の化身にして歌道と仏道を結びつけている。 

 月心寺 京阪電車京津線大谷駅下車、徒歩10分で月心寺。事前に電話で拝観の申し込み。電話077(524)3421。もともとは画家橋本関雪の別邸走井で戦後、単立寺院になった。一帯は茶店が並び、走井の茶店で知られた。江戸中期の庭の本「築山庭造伝」に取り上げられた庭があり、この庭も寺内に残っている