第127回 江戸町歩きが面白い

大岡越前、遠山金さんの舞台をゆく〜

   TVで東京の町歩きをとりあげている。歴史とホットな動きをかみ合わせた東京紹介は面白い。大阪の民放も同じような番組をしているが、ふところの深さと町の変 化が比較にならない。大阪都構想よりも大阪駅前から阿倍野界隈、中の島にいたるまで大阪の個性をもっと磨くべきだろう。大阪駅前をそのままにして都づくり などおこがましい。町の歴史を忘れ、お好み焼きとタコ焼きが大阪名物などというとんでもないタコ壺にはまっている。
  大阪はさておき、東京は築地移転をめぐり揺れている。オリンピック前の揺れであるが、どんな決着をはかるのか、都民でなくても興味深い。私が東京くらしを始 めたのは東京オリンピック3年前である。音立てて崩れるのではなく、音立てて町は変わっていった。池袋西口闇市バラックが壊されているのを通学途中で見 物した記憶がある。50年経ったいま、東京駅から湾岸線は激変している。八重洲口には外資系ホテルが並び、丸の内に比べてごちゃごちゃしていたかつのイ メージはない。ただ相変わりませずのおのぼりさんがたむろし、地下食堂街は混雑していた。
  東京駅でおりるとまず、天丼を食べるのが私の常である。東京の天丼の具はエビにしてもアナゴにしても、鉢からはみだし、エビの尻尾ははねるごとく勢いがあった。関西の天丼のエビは尻尾チョロチョロ、中は空洞が多く、がっかりすることがしばしばだった。

  八重洲地下の食堂スタンドでさっそく、天丼を注文した。エビの尾は上を向き、ころもの中は身が詰まっていた。天丼のエビの大きさは静岡あたりまでは東京風で 名古屋以西は小さくなる傾向がある。腹ごしらえを終え、東京散歩に出発した。駅を背にして八重洲通を進むと、中央通にでる。江戸初期、家康の外交助言者の オランダ人、ヤン・ヨーステンの屋敷があったところだ。ヨーステンは船が漂着して家康に見込まれ、江戸内堀内で日本人妻と暮らした。日本人名は耶楊子(や んようす)。八重州はやんようすがなまって出来た地名という。通りをそのまま行くと、八丁堀だ。南北奉行所に集結する与力50騎、同心200人の住まいが あった。与力の員数を騎で数えるのは、与力は馬が与えられ、江戸町を乗り回すことができたからだ。
  与力、同心を指揮したのが北町、南町奉行である。ことしは南町奉行で名をはせた大岡越前守(忠相)が奉行に就任して400年にあたる。1700石の旗本の4 男に生まれ、綱吉時代に書院番になり、目付から伊勢の山田奉行として赴任。ここで紀州家領の松坂と幕領伊勢の境界争いを前例に頼らず、公平に処理したこと が藩主吉宗の目にとまった。
  吉宗8代将軍に就任した翌年、享保2年、江戸南町奉行に抜擢された。当時の南町奉行所数寄屋橋門内にあった。現在の有楽町マリオンのそば、交番近くであ る。TVの大岡越前活躍の舞台。実際は大岡政談の大半はフィクションであって、奉行が捜査にあたることはなかった。裁きも記録にあるのは「白子屋お熊事件」のみでだ。
  この事件は日本橋の大店の娘お熊が手代と不倫のあげく、入り婿を店のものとかたってケガ負わせた殺人未遂事件。奉行みずから吟味し、お熊ら女3人を死罪、手 代は獄門、お熊の両親は遠島という厳しい判決である。当時の不倫事件のケースから見て、温情どころか断罪した内容。名裁きにほど遠い。
  大岡政談の中で有名なのが、忠相が吟味した不貞の男女事件。男は女に誘われ、つい過ちを犯したと釈明した。納得のいかない忠相は母親に、女性はいくつまであちらのほうの欲求があるのですか、と問うた。母は火鉢の灰を火箸でかきまぜ、それは灰になるまでと答えたという。この話、新井白石と母との会話でも残っており、実話かどうか疑わしい。大岡忠相は吉宗の享保の改革を推進、江戸町の改革に努めたことが庶民の人気を得た。南町から寺社奉行、最終的には西大平藩 (現岡崎市)1万石の大名まで出世したように、能吏であったことはまちがいない。江戸時代、旗本の息子が大名までなった例はなく、吉宗のひきだけではな く、実力を伴っていた。
  人気者奉行はもうひとりいる。遠山金さんこと遠山景元。こちらは北町奉行だ。八重洲北口の国際観光会館の前にあった碑はビルの中に移転、探すのが手間だ。金 さんは寛政5年(1793)、旗本の家に生まれ、遠山家の養子になった。遠山家に実子が生まれたため、立場が悪くなり、養父母との関係は一転した。江戸町 で放蕩生活を送り、この時代の経験が江戸っ子金さんの人間形成に大きな影響を与えた。金さんの運命を変えたのが旗本名家の堀田一定の妹と結婚。4200石 堀田家と500石遠山家ではつり合いがとれないが、放蕩していても素養があったのだろう。見込まれて大身の家族になり、小普請奉行ー作事奉行ー勘定奉行の 出世コースに乗り、32歳で出仕から15年で北町奉行の座を射止めた。大岡越前から100年後である。

  頃は水野忠邦天保の改革のさなか。水野忠邦は町民の奢侈を禁止、違反者を取り締まった。金さんこと景元は南町奉行の矢部定兼とともにこの政策に異を唱え た。武士は遊興三昧、町民のみに贅沢禁止は公平でない。分相応の暮らしであれば、お上が口をはさむ理由はないという意見書を提出するも、将軍が却下して日 の目をみなかった。
  水野忠邦の配下にいたのが目付鳥居耀蔵儒家の名門林家に生まれ、鳥居家の養子となり、蘭学を批判し、渡辺崋山らを弾圧した。南町奉行の矢部定兼の過去を掘り返して失脚させ、あとの奉行に座った。町にスパイを放ち、おとり捜査で取り締まった。妖怪の別称で庶民から八丁堀まで支配し、北町の金さんと対立した。
  鳥居は女浄瑠璃寄席の全面撤去を命じ、水野忠邦に芝居小屋の廃止を進言した。金さんは抵抗し、移転でことを収めた。この処理で金さん人気は高まり、おさまら ない耀蔵は策略を用いて金さんを栄転のかたちで閑職の大目付にまつりあげ、江戸町を支配した。ところが水野忠邦が改革失敗で罷免されるや、反対派に寝返 り、その地位を守った。江戸町が肩を落とした頃、水野が外交手腕を買われて復活し、さしもの妖怪も水野の復讐で四国にお預けの身になり、明治まで江戸の土 を踏むことはなかった。
  金さんは異例の南町奉行にカムバックする。北と南の奉行職を務めたのは金さんただ一人である。金さんの入れ墨桜吹雪はドラマの定番見せ場ながら、誇張された きらいがあり、放蕩時代に腕に入れた説など伝聞の域をでない。大岡越前が能吏であるのに対して、老中や妖怪を向こうに回して抵抗した金さんは筋金入りの現場派だ。庶民が囃したてたのもうなずける。奉行としての仕事では文句なく金さんに軍配をあげる。
  旗本の長男は柔弱か問題児が多いが、他家へ養子にでるか、兄の死で家督を継いだ旗本次男、三男は名を残している。冷や飯を食べたというだけでなく、若い頃、 世の中を見て、人間関係を養ったことが財産になっている。南北奉行の対立から罷免、復活と目まぐるしく変わった江戸町で、悩んだのが八丁堀の面々でだっ た。北と南で取り締まり方針が違うのだから無理もない。おまけにトップの首が飛び、飛んだはずの首が戻ってきた。与力、同心、岡っ引きにいたるまで誰を頼 りにしていいかわからなかった。

  八丁堀は京橋川下流から隅田川に流れ込む通船のための水路が開削されてできた掘割ことで、海より八丁(870㍍)の距離にあったことから名がついた。ここに 与力、同心が住み、江戸の治安をまかされた。与力は300坪から500坪の土地が与えられ、同心は50−100坪だった。与力200石、同心は30俵二人 扶持と、報酬は少ないものの、江戸の商人や大名から収入を上回る付け届けがあり、暮らしに困ることはなかった。八丁堀は埋めてられ、一部が公園になってい る。
  桜川公園のなかに往時の地図の碑がある。区画整理で屋敷跡は姿を消し、説明板からあの羽織をひっかけ、腰にまいた同心たちの姿を思い浮かべた。TVでおなじ みの必殺シリーズ中村主水はフィクションであっても同心を生き生きと描いている。主水は下総の同心の次男から中村家に婿入り、姑りつ、妻せんの三人暮ら しの定町廻りの役どころ。奉行は鳥居耀蔵の設定になっていて、裏家業は妖怪と奸臣、悪徳商人に苦しむ江戸庶民の願いを受け、刀をふるう。このシリーズのラストの脚本は裏家業が発覚した主水は追われ、りつ、せんは捕らわれ、主水が救いだすも、せんは拷問で死に、りつは裏家業を隠した主水に怒った。りつに刺さ れた主水は門前で追手に斬られる筋になっていた。これでは妖怪に負けたことになり、シリーズに反するとしてお蔵入りしてうやむやになったという。

  八丁堀を右にまがると、京橋、そのむこうが銀座だ。江戸幕府の初期はこのあたりは浜と海。銀貨鋳造所をこの地に置いたことから銀座の地名がついた。浮島の職 人の町であって、金貨鋳造所は日本銀行のある常盤橋門外にあった。銀座2丁目、テイファニー銀座ビル前の歩道に『銀座発祥の地』の碑が立っている。ヨー ロッパの都市はフルタイムスペシャリスト、いわゆる職人の存在が重要な位置を占めているが、職人の町銀座も江戸発展に寄与した。銀座が明治の火災でレンガ 造りの家並みに生まれ変わり、モダンな町になった。外国のブランド品の並ぶおしゃれな銀座の始まりだった。
  東京で食べたいものの、3つのうち、あとふたつは寿司と鰻丼。グルメ散策のつもりででかけた東京散歩は大岡越前、遠山金さん、中村主水の八丁掘で時間をとっ た。築地場外に急ぐ。築地にはなつかしい思い出がある。学生時代、同級生の実家が経営の肉卸店でバイト。肉を担いで倉庫に運び、一般客相手の店売りを手 伝った。早朝から昼までの勤務のうえ、バイト料もよく、朝食にはブタ汁が出て、うまかった。腹が覚えていて築地を歩くと、グウと鳴る。寿司と鰻。関西の寿 司(一流店のことではない)は概してシャリの酢加減がうすく、ガリのショウが甘く、後味が悪い。ところが東京は回転ずしから駅前の店でもシャリ、ガリとも 私にはぴったりだ。
  鰻は蒸してない関西は匂いが鼻にきて香ばしさを消している。このふたつの理由で江戸前の寿司、鰻を堪能して移転問題の場内を観察して歩く。移転は延期に決 まったらしいが、いったん、決まったものをひっくり返すには相当なエネルギーがいる。小池知事の腕まくりに都議会の男たちがどう対応するのか、見ものであ る。まさかの魔坂の腰くだけになることのないように。
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