第117回 ローカルでローカルな近江鉄道

  〜タイムスリップでゆく沿線風景〜

  近頃は昔話が楽し くなった。後ろ向きなどという偏屈もいるが、古希を過ぎて前途が開けているわけでなく、振り返れば君がいたあの昔である。近江のコメどころ、湖東平野は天 智天皇の時代から織田信長まで日本史の枢要なページに登場してきた歴史の舞台だ。この平野を東西に走るローカル電車が近江鉄道。鉄道フアン以外で名前を知 る人は、まれである。湖東平野は湖岸から南の鈴鹿山系の麓に広がり、近江では琵琶湖の洪水被害を受けない米どころであった。
  天智天皇時代に百済の貴族ら700人が集団移住したのもここだ。唐文化の影響を受けた百済新羅の渡来人は近江に朝鮮半島経由の唐文化を持ち込み、広めた。 まだ平安京もなく京都が山城と呼ばれた鄙の時代。近江商人が大陸の隊商の末裔といわれるのも拠になっている。
  近江鉄道の西始発駅は貴生川(きぶかわ)、東端は米原である。東西の本線には20駅、八日市近江八幡の支線5駅、高宮―多賀間に1駅がある。本線はJR東海道線、新幹線、名神高速道路と並行して走り、その間に挟まれながらゆっくりと行く電車は、全国の鉄道、高速道路風景の中でも異質だろう。東海道線草津米原間の快速に比べてスピードは約3分の一に近い。関西弁でいうならしんきくさいほどのんびり走る。
  昭和の初め、近江鉄道が電化して国鉄の度肝を抜いた歴史は、沿線住民でも知る人はまれだ。並行する米原彦根彦根近江八幡間を国鉄はSL、 近江鉄道は電車を走らせたから、国鉄はあわてて気動車を導入して対抗した。その歴史もいまや昔である。近江鉄道は地元資本で1898年(明治31)に設 立、昭和17年に地元出身の堤康次郎が経営する箱根土地に経営権を移し、現在も西武鉄道の資本下にある。車両の大半は西武の411系を改造の中古車両を使 用し、西武カラーのクリーム色の車両が走るが、華麗なる音を響(ガチャ)の愛称がある。
     
  JR草津駅琵琶湖線から草津線に乗り換え、貴生川駅でおりる。ホ−ムはずれに近江鉄道米原行車両800系が待っていた。米原までの所要時間は1時間50分。JR草 津―米原間が44分だから、比較にならない。平日午後の車内は、がらんとしている。朝夕は通勤、通学客で席は埋まるそうだが、昼間のダイヤは1時間に1本 の運行で、ガラガラで、のり占めの気分を味わう。走り出して聞こえる規則正しいガチャンコンはレールの継ぎ目の音であるが、実に耳に心地よい。私は学生時 代、西武練馬に下宿、西武電車の世話になった。車両の記憶はないが、どこか懐かしさを覚えるのもガチャコンのたびに尾てい骨あたりをくすぐられ、記憶を呼 び起こすのだろう。
  ローカル線の経営難はどこも共通するが、近江鉄道も通勤、通学は近江八幡八日市に集まり、乗降客減少は続いている。会社は鉄道フアンを意識した企画電車を運行し、話題を提供している。夏のビ−ル電車、秋はワインと、揺れと音にあわせて酔いに浸る企画は人気がある。
  沿線はかつて伊勢神宮参拝と伊勢神宮の両親にあたる伊邪那岐伊邪那美を祀る多賀大社参拝の道筋のお代参拝街道をなぞるようにできた。草津線経由で関西本線 利用の伊勢参りがバス、私鉄に取って代わられ、多賀参拝客はJR経由、名神高速道路利用する。しかし、ローカルなガチャコンの窓に広がる湖東平野の歴史と 風景は、旅てつ、歴女から見直され、通の好む穴場として話題にのぼるようになった。隣り合わせた乗客と会話がはずむ人なつっこさはローカル線の風景と無関 係ではない。
  貴生川駅の次は水口。ここは旧東海道の宿場で関が原の戦いまでは岡山城があった。隣の土山は馬子唄で♪♫坂 はてるてる鈴鹿は曇る あいの土山雨が降ると、鈴鹿峠の難所で知られた。水口の次は日野。かつて信長、秀吉に仕えた蒲生氏郷の城下町である。会津転封で一 族、職人もろとも移り、会津92万石の大名になった。武将ながら利休に茶を学び、仏教、儒教を信じ、キリスト教会の洗礼を受けた氏郷は40歳で病死した が、その大器ぶりをおそれた秀吉の毒殺説もあるくらい力量は傑出していた。会津でも産業を興し、会津塗りの特産漆器は、日野椀の職人の流れをくんでいる。
  日野は氏郷との縁で東北とつながり、仙台伊達藩との結びつきが強く、日野商人の薬、醸造業の製造販路を広げた。町には日野商人の本宅が残り、ベニがらの格子 戸、桟敷窓の町並みは、落ち着きがある。日野と水口間の沿線は 両側のすすきの穂が電車の音にあわせて揺れる。沿線一ののどかさだ。
  八日市で途中下車。湖東の中心地で乗降客は沿線一。聖徳太子伝説が随所にあり、太子渡来人説も語り継がれている。名の通り市場から始まり、四天王寺建立の瓦を焼き、山麓推古天皇9年(601)3月8日に市場を開いた。八の日を市日に決め、地名になった。
  駅南の鈴鹿山系が東西にのびている。山麓にあるのが湖東三山である。もっとも西が永源寺。歩くには距離があるが、バスで20分の日野川上流にある。八風街道三重県側と結んでいる。鎌倉・室町期は山賊の横行する鈴鹿峠を避けた流通路になり、近江・桑名の物資が行き交った。応仁の乱で京を逃れ、永源寺に身を寄 せていた相国寺学僧横川景三(おうせんけいさん)は、ここで200人余の商人一行とすれ違う。この一行こそ近江商人のルーツにあたるキャラバンであった。
  永源寺臨済宗永源寺派総本山。関西で三本の指にはいる紅葉の名所だ。120段の石段をのぼると、総門、その奥にある山門の配置。重厚な門の間には楓の木が 空間を構成している。永源寺の東が百済寺。参道から石段、仁王門に下がる大わらじは高さ3mはあるだろう。聖徳太子が仏教の師である高句麗僧恵慈をともな い、ここを訪れ、堂宇を建てた寺伝は、半島との深いつながりをしめしている。この寺は延暦寺開宗とともに天台別院になり、寺坊は千を越えたという。信長の 焼き討ちで一山灰と化したもようは、宣教師ルイス・フロイスにより本国に報告された。金剛輪寺西明寺ともども湖東三山の秋は、寂莫清浄に包まれ、京、奈 良に飽きた歴女たちがこぞってため息をもらす景観である。
  八日市駅に戻ってきた。通学の高校生たちが電車を降りてくる。車中の高校生にとってローカルなローカル鉄道といわれて心中は複雑だろう。ローカルは田舎もんの代名詞だからだ。よそもんの年寄りがうれしそうに窓の風景や車両の古さに見とれても、うれしくないもない。それが若者だ。
  八日市から本線は東へ向かい、支線が琵琶湖の方角、北の近江八幡に続いている。次の新八日市は、駅舎のベンチで一休みしたい。木造駅舎、木のベンチ。新の名 の古い駅舎は楽しい。駅前から見る木造駅舎は、大正2年の建設で、小学校舎に似たつくりは、見飽きることはない。沿線駅では明治34年の彦根口駅が最古で あったが、昨年に解体され、現存駅の最長老になった。
  座り込んで湖東の歴史をひもとく。
  蒲生野が広がる。天智天皇7年、進取に富んだ気性の天皇と、妃の額田王、額田の前夫大海人皇子(天智弟)の3人がそろった遊猟は蒲生野のどかさとは対照的に 3人の胸の内でもつれあっていた。額田王大海人皇子の間に十市皇女をもうけたが、天智の求愛に負けて妻になった。遊猟は大津遷都の翌年の5月5日。野山 に出て鹿の角を薬用にとり、薬草を採取する宮中行事である。ここであまりにも有名な歌。
  茜さす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖ふる(額田王
  紫野のにほえる妹を憎くあらば 人妻故にわれ恋ひめやも(大海人皇子
  万葉集恋の歌として蒲生野は有名になった。この歌から5年後、壬申の乱がおき、大津京はほろびた。その要因になったのが天智と大海人の額田をめぐる確執とい う見方が歌の人気を高めた。しかし、狩猟後の宴席でのオープンな歌であり、秘めたる思いを込めた歌よりも座を盛り上げたにすぎないという解釈がいまや主流 になっている。宴席のふたりが天皇を前に顔を見合わせ、額田はほほえみ、袖を口にあてる。そんな場面が目に浮かぶ。大海人は顔で笑い、こぶしを握りしめて いた。兄弟の対立の根は深く、政策から大海人の出自までさかのぼる研究者もいる。
  蒲生野周辺は渡来人の里が多く集まり、鈴鹿山系から琵琶湖に注ぐ日野川流域の上流は百済系、下流新羅系とすみわけ、湖東遷都計画もあったほど渡来人はしっかり根をおろしていた。
  八日市駅に戻り、本線に乗り換えて五個荘中山道とぶつかり、新幹線と交差する。ここから彦根・高宮まで新幹線が並行して走るため、のんびり旅も目がさめ る。新幹線開通当時、国鉄近江鉄道に「景色料」という名目でわけのわからない2億円払った。鉄道に騒音迷惑料もないから、近江鉄道風景を新幹線乗客に提 供する景色料としたのだろうが、いまとなっては先見の明があった。
  五個荘は日野、八幡と並ぶ近江商人の町である。本家には女、子供が住み、主人は大阪、京都、東京、仙台など出店にでかけ、1年の大半を旅した。豪壮なつくり の本家が軒を並べている。湖東地域は江戸時代、彦根藩をのぞく80の領主の飛び地になり、ひとつの村に11の大名地があった。この結果、他地域に比べて往 来が自由にできたことも近江商人を生む土壌になった。隣同士でもお殿様が異なったのである。日本の長者番付の上位を独占した富は、江戸の経済を左右するほ ど動をもろにかぶり、三菱、三井、住友の後塵を拝することになった。
     
  沿線は彦根市内にはいる。高宮から多賀線でひと駅、 多賀大社。駅前の大鳥居をくぐって「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」と、歌われた本殿に参拝。延命長寿と縁結びの神で名高い。奈 良・東大寺の中興の祖、重源が80歳で東大寺復興を志し、延命祈願したところ境内の柏の葉に「延」の文字に似た虫食い葉をみつけ、勇気づけられた重源は東 大寺の復興を成し遂げた故事によるが、お守りの「お多賀杓子」はオタマジャクシの語源説にもなっている。
  貴生川から約2時間の旅。3か所は途中下車すると、1時間に1本のダイヤのため、軽く一日がかりになり、窓辺につるべ落としの夕暮れが迫っていた。すごろくのあがりのような気分と、電車を離れがたい寂しさが重なる秋の夕だった。
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  メモ 
  ワイン電車 11月2、6、7、13、14、19、20、21、22日運行。
  19日から22日の4回はボージョレヌーボー。飲み放題4000円。フランス、スペイン、ドイツ、イタリヤなど各国ワインをそろえる。始発は彦根駅近江八幡駅。時間は約時間。利用日の5日前に予約必。電話0749(22)3303
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